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カテゴリ:アセンション
ようこそ、お越し下さいました。 今まで、親鸞さんの話が続きましたね、しつこいくらい。 今日は、別の観点から統合意識の顕われを観てみようと思います。 それは、人間関係の原点とも言える結婚生活についてです。 私の結婚生活は、今年で40年になろうとしております。 よく、もったもんだな~~と。 まあ、正確に言えば、よく捨てられずに済んだと言うべきか! 教会での結婚式の宣誓の言葉は、 「良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、 病める時も健やかなる時も、 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、 愛を誓い、想い、添うことを、誓いますか? 」 と問われ、「誓いません。」と答える人はいませんよね。 打算での結婚は別として、 一生この人と生きるのだという決意をした事でしょうね。 でも、2年経ち5年経ち、10年20年と時を重ねると果たしてどうでしょうか。 「結婚は人生の墓場」なんて考え方もあるんですねえ、世の中は。 先ず、結婚は縁でするものと考えます。 恋愛結婚も見合いも、はたまた財産目的、政略結婚、 全てが縁で結ばれたと言ってもいいと思います。 結ばれるべくして結ばれるのです。 見合いで押し付けられたとしても、 自分と相手の背後の方々が流れを作り決まって行く。 それは、自分の意思で結婚したように見えますが、 ハイヤーセルフ、守護霊団を含めた選択なのですね。 その縁は、大いなる目的があるから。 過去生で、相手の魂さんとやり残した宿題を、 今生で完結させたいという目的です。 完結させるという事は、絶対調和に戻す事。 やり残した宿題とは 「愛が足りなかった」 「自分の事ばかり考えていて・・・」 という、“愛”の不足が殆どと言えるかもしれません。 そうなんです。 三次元の地球学校の学びは、大いなる存在の顕われである “愛”と“調和“の学びなのですね。 衣食住が必要な肉体を持つ次元。 他人の事を構ってられない状況の中での“愛”の表現。 自己中心的で当り前の中での、自己を捨てると言う学び。 これを表現できなかったために、 再び今生で夫婦と言う役どころで学び直しの結婚生活。 実は、結婚とはこういう事だったのですね。 しかも、血縁がない関係です。 親子とかの血縁関係だと、 「勘当だ!」なんて縁を切ったように見えるけど、 親子の関係が変わるわけではありません。 絡まった関係も時と共にそれがほどけてきて、 調和に戻りやすくもなります。 夫婦とは、この血縁がない関係。 婚姻届と言う紙一枚の関係。 駄目なら離婚もOKですという、逃げ道までも用意されている。 だから、ややこしくなるし面倒なのですね。 以前に、私はこんな事を言っていました。 「結婚生活を長く続けるには、お互いの人間的尊敬がないと駄目だ。」 これは、相手の人間性に尊敬と敬意を持ち、 「足らざるを満たし合う」関係で、 人生のパートナーとして認め合いながら 同じ方向を見つめて生きる事と思っていました。 今も、その気持に変わりはありません。 子供達が成長して独立し、あらためて周りを見つめると、カミさんしか居ませんから。 だから、パートナーとの生活に新たな発見や感動、 喜びと感謝に包まれた生活にならなくては、ね。 では、私が思うパートナーの資質とは? それは、一緒に居て楽な人!!! どんな人だと、楽になれるの? 「何故、僕が君を好きか知ってる? それは、僕の欠点を許してくれたり、 失敗を笑って許してくれるから」 ある本の一行でした。 何をしても許してくれる人って、 菩薩様のようで、そばに居てくれたら居心地がいいですよね。 許すという事は、その場で清算され、後に残りません。 水の流るる如く、浄化され霧散します。 何時までも待っててくれる人。 もちろん、待たせても怒ったり責めたりもしません。 待たせるものは、時間であったり、学びであったり、気付きであったり。 緊張が、まったくありません。 緩みっぱなしと言うか、何でもOKなんです。 許しがあるところには、笑顔と喜びが育みますね。 代価を求められない許しは、 代価を求められるより喜びが大きく、 又何とかしてあげたくなるパワーが内包されている。 自慢になってしまうようですが、 私のカミさんはこういう一緒に居て楽な人なんです。 すっごく、楽ちんちんなんです。 だから、いつも私の先生でもあるのです。 夫婦を40年も続けさせてもらえた原因は、ここに尽きますね。 時たま、観音菩薩様の化身かと思ってしまう時があります。 (ちょっと、誉めすぎかな) 親鸞聖人も、奥方の恵信尼に対して同じように言われていますね。 “愛”の不足から今生で夫婦となった私達、 やっと完結したようです。 こうなれたきっかけは、やはり統合意識に目を向けた事が大きいようです。 何のカンの言ったって、愛の表現世界の最小単位が、夫婦であり家族です。 これすら出来なくて、地球のアセンション、人類集合意識なんて言えません。 何があっても“許す”という事は、大いなる存在の顕れですね。 “許す“事は“愛”の基幹です。 これを具現するには、避けて通れないのが統合意識。 「一緒に居て楽な人」を相手に求めるのではなく、自らがそうなれば良い訳です。 人により統合意識、・・・なんてどうでしょうか。 何時でも何処でも、誰にでも統合意識は先ずは置いといて、 家族にだけ統合意識であれば、やり易いのではないでしょうか。 そして、家族の関係に完結を迎える事ができたなら、 きっと殆どのものに統合意識になっている事でしょう。 そうすれば、我等の目指す解脱に至ります。 「観脚下」 足元を見よ! 解脱の扉は、楽天ブログにも精神世界の本にもあらず、 夫婦家族の中にあり! 思いっきり、磯遊びをしてきました。 カンゾウの群生は綺麗ですね。 こんな近くに鷲?の巣がありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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