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2014.10.05
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カテゴリ:スピリチュアル
 本棚から、覚醒の深みへ エネルギーの上昇を取り出して、気まぐれにページをパラパラ。今良いメッセージがないかと適当に本を開いてみる。
開いたページ(p.142)には、ハートと愛することについて書かれていた。版が古いので、今売られている本だとページ数は違うかもしれない。和尚の講話録、ヴィギャン・バイラブ・タントラの中の一冊。 

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 ハート・センターが再び機能を始めない限り、愛することはできない。そして現代における生の悲惨はすべてそこにある。愛することができなければ、自分の生の意味が感じられない、生が無意味に映る。愛は生に意味を与える……愛こそが唯一の意味だ。
 愛することができなければ、あなたは無意味だ。だから「自分にはどんな意味もない、自分は無益に存在している」と感じるのだ。そして自殺が魅惑的なものとなる。かくして、みずからの命を断とう、みずからを終わりにしようと考える。このまま存在していて何になるだろう……。
 単に存在するだけでは我慢できない。存在には何か意味があるに違いない。なぜ毎日同じパターンを繰り返すのか。寝床から抜けだして、同じことをやり、そして再び眠りに落ち、そしてまた翌日も同じパターンを繰り返す……いったいなぜ。
 あなたは今までそうしてきた。それで何が起こったか。あなたはそれを続ける―死がやってきて肉体から解放してくれるまで……。それに何の意味があるのか。愛は意味を与える。とは言っても、愛によって何か結果や目標が現れるというわけではない。
 愛によって、瞬間瞬間それ自身が価値あるものとなるのだ。
 そうすればあなたはけっして生の意味を尋ねたりしない。生の意味を尋ねるということは、愛が欠けているということだ。「生の意味は何か」と尋ねる人間がいたら、つまり彼はまだ、愛の体験の中に花開くことができないということだ。愛の中にいる人間は、決して生の意味を問うことがない。彼はその意味を知っている。問う必要がない。彼はその意味を知っている! その意味はそこにある。愛こそ生における意味だ。
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ヴィギャン・バイラブ・タントラは、古代インドの、シヴァが恋人に伝えたとされる112の瞑想法についての経典で、この本はそれらの瞑想法についてOSHOが語ったものなのだけれども、ここでOSHOはハートのセンターについて語っています。ヨガで言うところのハートのチャクラ、アナハタ・チャクラのこと。愛や慈悲を司っているセンター。

ハートのセンターを開く瞑想はいくつかあって、今だったら悟りのシンクロニシティ 内なる引き寄せの法則/リーラ・ラブガーデン...の付属のCDに収録されているハート瞑想なんか、入って行きやすくておすすめ。このヴィギャン・バイラブ・タントラにもいくつもハートの瞑想が載っているから、それをしてみるのもとても良いけれども、CDがあるとやっぱり瞑想しやすい(私の個人的な感覚)。

よく「愛されているかどうか」が、自分がやっていけるかどうかの基準になっていたりするけれども、実は「愛することができるかどうか」の方が、ずっと重大だったりします。ほんとにハートが閉じていると、どんな素敵な人や動物や自然に囲まれていても、全然滋養にならなかったりするので。

逆に、今は逆境にあっても、ハートが愛を放射していれば、やがては環境の方も、その愛に見合ったものになっていくような、そういう印象があります。



どうでもいいことだけど、OSHOって、日本だと和尚だけど、台湾や中国だと奥修と書いてOSHOと読むみたい。最初見たときは、慣れないからなんだか不思議な感じがした。





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Last updated  2014.10.05 06:46:04
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