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先ずはNHKのホームページからの転載です。
『去年、一人の日本人女性が、スイスで安楽死を行った。 女性は重い神経難病を患い、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願っていた。 患者の死期を積極的に早める安楽死は日本では認められていない。 そんな中で、海外からも希望者を受け入れているスイスの民間団体で、安楽死することを希望する日本人が出始めている。 この死を選んだ女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿は、私たちに何を問いかけるのか見つめる。』 次にNHKのFacebookからの転載です。 『安楽死が容認され海外からも希望者を受け入れている団体があるスイスで、一人の日本人女性が安楽死を行った。 3年前に、体の機能が失われる神経難病と診断されたAさん。歩行や会話が困難となり、医師からは「やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる」と宣告される。 その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」と、スイスの安楽死団体に登録した。 安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けたのが家族だ。 自殺未遂を繰り返す本人から、「安楽死が唯一の希望の光」だと聞かされた家族は、「このままでは最も不幸な最期になる」と考え、自問自答しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。 そして、生と死を巡る対話を続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。 延命治療の技術が進歩し、納得のいく最期をどう迎えるかが本人と家族に突きつけられる時代。海外での日本人の安楽死は何を問いかけるのかを見つめる。』 去年(2018年)11月、小島ミナさんはスイスで安楽死しました。52歳でした。 点滴に薬を入れ、それを体内に入れるスイッチは本人が開きます。開くと数分、普通約30秒で死に至ります。 2人の姉に看取られながら、ナミさんは実行しました。 ミナさんは4人姉妹の3女として生まれました。両親が離婚してからは、二人の姉に育てられました。末の妹は離れて生活しています。 高校卒業後、ソウル大学に進学しました。独立心の強い人でした。 48歳の時、多系統萎縮症と診断されました。この時は姉の1人と生活していました。日々、身体が動かなくなっていきます。 姉の前で初めて、四つん這いになり歩いた時に、姉の顔を見ることが出来ませんでした。姉の気持ちも同じだったと思ったそうです。 昨年(2018)3月、症状が悪化して病院を訪れた時、人工呼吸器を付けた患者を診ました。 ミナさんは無言で、寂しそうだった、その後自殺の準備をしたのではと、お姉さんは語ります。 「私が私らしく死んでいける。天井だけを見つめている、寝たきりの現状の日常が、自分らしい生き方なのか?自分が死を選択することは、どう自分を生きていくのかと同じこと」 寝たきりになると「ありがとう」と言えなくなるので、自殺しようとしたが、力が入らず、未遂に終わりました。これを繰り返しました。最後に安楽死を選択しました。 《タクシーの運転手をしながら、一人娘を育てた女性の映像が映ります。人工呼吸器を付けるかどうか判断する局面です。 娘さんは、人工呼吸器を付けていても、生きている母を見続けたいという、強い希望を持っています。 母親は言葉が離せなくなっていますが、しぐさで明確な意思表示をします。「人工呼吸器を付ける」と。そしてその理由は「家族のため」でした。》 スイスの安楽死団体が運営する建物。会員数1660人、日本人は17人で、年々増えてきています。がんやミナさんのような、神経関係の病気の方が多いようです。 日本では、延命措置をしないとか差し控えるという、消極的安楽死は認められていますが、積極的な安楽死は認められていません。 スイスでは、どう死ぬか、どう生きるかを選ぶのは本人の権利であり、ですから死を選ぶのは本人の権利であると、法律で認められています。 ミナさんは、現状では3~4か月後でないと、空きが出ないといわれました。それまでは待てない、それからは自分の死を自覚するようになりました。 別の地域に住む妹は、心の鎧を取ってほしいと説得しました。「他人の力に頼ってでも、生きてほしい。」 ミナさんは「妹の気持ちは理解できる。しかし、周囲の人たちも苦しい。それが想像できる」 2018年11月小島さんはスイスに到着しました。 《同じ病気で人工呼吸器の使用を認めた鈴木さんの映像が映ります。 「大好きだった桜」、同乗する母親が言います。満開になっている並木道を車で通ります。それを見続ける渡辺さんの顔が、しばし、大写しになります。》 スイスでも、安楽死をするには条件が5つあります。 ①耐え難い苦痛がある ②本人が死を望んでいる ③回復の見込みがない ④不明 医師からは「スイスに移動してくることが出来ました。以後も動けるのなら、安楽死をやめてもいいのではないですか。2日間、考慮してみて下さい。」と言われます。 ミナさんは、「今じゃないかもしれないとは思います。しかし、そうするとキリがないという気がするのです。」 本人が決断の気持ちを伝え、2人の姉も了承します。 別の医師が会います。この段階でも、安楽死をしない選択もあります。 安楽死をしないと、姉たちは、ミナさんが自殺をしようとする地獄が続くのを想像してしまいます。 最後の夜、3姉妹はホテルで最後の晩餐を持ちました。 ミナさんは、「悪化してから、お姉さんたちに介護を頼ってきた」と言い、お姉さんたちは「苦しませず、楽にさせることが出来るのなら、自分たちが迷ったらだめだ」といいます。 最後の夜は、一睡もせずに、語り明かしました。 安楽死を行う場所は、車で30分の郊外にあります。その場面も映されます。非情ではあります。でも、映像で見ると、見る私たちに、緊迫した雰囲気が伝わってきます。 到着後、契約書に本人がサイン、すぐベッドに横たわります。警察に提出するビデオが撮られます。 手の静脈に針を刺し、固定します。点滴に薬が入れられます。 クダの手の近くに付いている栓を開けると、薬が体内に入ります。 そして、点滴のスイッチは、本人が開けます。 ミナさん「ありがとね、いろいろ」 姉たち 「ミナちゃん、ありがと」 ミナさん「こちらこそ、ありがと。最後にこんなに見守られるなんて、想像外」 「そんなにつらくなかった。病院にも来てくれたから」 姉たち 「ミナちゃん、ありがと」 医師による死亡確認があり、ミナさんは52歳の生涯を終えました。 日本では安楽死を認めていないので、遺体を持ち帰ることはできませんでした。遺骨をスイスの川に流しました。 今、ミナちゃんの「幸せだったよ」という言葉があるから、残された姉たちは生きていけると思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.05 09:45:30
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