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uniawabioyoyoの前立腺がん日記

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2019.12.12
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Yahooニュース、あなたへのおすすめから、Suits woman.jpの記事の一部転載です。

(連載の一部です。

比較的大きな手術直後の模様が、分かりやすく再現されています。手術した最初の夜は辛くて長く、なかなか夜が明けないのですが、この辺りは、前回で終了しているのでしょう。読んで見たかったです。)

人間ドックではA判定。予防接種と出産以外では病院にお世話になった事がないほどの健康体。……だったはずなのに!

まさかの乳がん疑惑が持ち上がり、急きょ手術で取った腫瘍は3cm近い立派なものでした。そこから始まった治療生活。放射線治療、抗がん剤治療、ホルモン療法と、標準治療はフルコースでしっかり受けました。……なのに、また!

2年目経ったら肺に転移が見つかっちゃいましたよ~。おーまいがっ!!

と、ここまでが前回までのお話です。お付き合い、ありがとうございました。

さてさて。人生で二度目のがんの手術から一夜明け、ようやく病室に戻った私ですが、切ったところは肺なので、ご飯は食べられます。

とはいうものの、さすがに手術の日は絶食でした。まあ、ICUに一泊しましたしね。お腹がすいたと感じる余裕すらなかったので、そこは平気でした。

つーか、ICUってご飯は出るんでしょうかね?そもそもご飯が食べられるほど元気な患者なら、そんなところにはいないんじゃないかと私は思うのですが、全国の医療関係者から話を聞いてみたいところです。

実際、手術の翌朝、私はICUから一般の病室に戻されたわけですが、自分でもビックリするほどダメージを受けていました。

たとえば寝ながら、指一本だけ動かすにしても、ちょっと体勢を変えるにしても、「はい」「いいえ」程度の言葉を発するにしても、普段なら無意識にやっている、本当にささいなあれやこれやが、実は脳から命令されて、それなりに体力を消費している行動なんだと、初めて思い知ったように思います。

「口を開く体力もない」って、いや、どんだけ?と今でも思います。

病院からは、入院中のおおまかな流れを印刷したプリントをもらっていました。

それによると、手術の翌日に病室に戻り、最初の昼ごはんは五分がゆで、夜はおかゆで、その翌日からは通常食が出ると書いてありました。

いや、ちょっと待って。

私、今、全身を管だらけでつながれていますよね?さっきまでICUにいて、息も絶え絶えという状況でしたよね?それで次の日から通常食というのはどうなの?と思ったわけですが。いやこれ、私じゃなくても思いますよね?どうですか?

しかし、病院って場所は、常にこっちの予想の斜め上を行ってくれますよ。

翌日の通常食どころではありませんでした。その前にもっとサプライズがありました。

なんと、一般病室に移った最初のお昼ご飯は、確かに五分がゆでしたが、なんと白米部分が五分がゆなだけで、おかずはまったくの通常食でした!

ええ。今でも忘れやしません。鶏肉の味噌焼きに、キャベツの浅漬け。めっちゃ咀嚼を必要とする、障害物レースのようなメニューでした……。

さっきまでICUに入っていた、まだ酸素マスクもついている人間にこれを食べろと?

でもねっ、食べましたよ。少しだけど。どんなに少しでも食べないと力が出ないので。

幸い、病室は個室だったので、誰にも見られる心配はありません。お行儀なんてかなぐり捨てて、ベッドに寝転がったまま、指で鶏肉を一切れつまんで口に放り込みました。寝たままで(浅漬けのキャベツは当たり前ですが、食べられませんでした)。

正直、口を開けるだけで精いっぱい。お肉は本当に勘弁してほしかったですが、そこはちょっと無理をして食べました。

自分の中に体力の残量がなかったからこそ、ダイレクトに感じたのですが、お肉を一口噛みしめるたびに、私の胸のあたりにポッと、ほんのわずかずつですがHPが回復していくのを感じました。これには自分でもビックリしました。

ああ、食べることって生きることなんだなあ、って。

よく「命をいただく」なんていうけれど、本当にそうなんだなあ、って。

他の命をいただいて、自分の命をつないで、それこそが生きるという事なんだなあ、って。

当たり前のようだけれど、この時ほど実感したご飯はありませんでした。

さて。入院生活の象徴とでもいいましょうか。入院と言えばこれ、というくらい、よくドラマやマンガで描かれるのが、あの、点滴を下げて患者がコロコロ転がして廊下を歩く、キャスターつきのスタンドです。

ICUから一般病室に戻った私は、当然、全身が管だらけです。酸素マスク、導尿カテーテル、硬膜外麻酔、それと手術後の患部にたまっちゃう血や水を体の外に出すドレーンという管などがつながっていました。

このドレーン!!なかなかの迫力でした!!

2013年に最初の乳がんの手術を受けた時は、胸のわきから流すせいか、わりと細い管だったように記憶しているのですが、ま~~、この時はぶっといのなんの!直径は1cmとかじゃききませんでしたね。

その太い管を通って血が流れ出て、パックにたまっていく様のインパクトの強さったら。まだ小学生だった下の娘などは、正直、どんびいていました。

これらの管が、手術から時間が経つにつれてはずれていくのは、ちょっと言葉では言い表せない喜びです。

まず、いちばん最初に外れるのは、導尿カテーテルです。THE か・い・ほ・う・か・ん!!

導尿カテーテルの経験がある読者の方がどれだけいるかはわかりませんが、あれには独特の不快感があります。残尿感そのものとでも言いましょうか。地味に不快。

私としては、ぜひともはずしていただきたいナンバー1の管です。

しかし、はずされたら、それはそれで新しい問題が生じます。……そう!自力でトイレに行かなければならない問題ですっ!!

点滴のコロコロどころの騒ぎではありません。

導尿カテーテルがはずされた私のもとに運ばれてきたキャスター付きスタンドには、ドレーンの重たそうな機械と、酸素ボンベが乗っかっていました。いやこれ、どこの工事業者の荷物だよ?みたいな。

たとえば私が軽く尿意をもよおしたとします。まず、ドレーンの機械の電源をコンセントからはずし、病室の壁からつながっている酸素チューブをはずし、キャスター上の酸素ボンベにつなぎなおし、ボンベを操作して酸素をシューッと出し、ようやくトイレに向かえるのです。

もちろん自力での作業です。面倒くさい!

トイレから帰ったら、今度は同じ動作を逆回しで再生です。

……なるべくトイレに行かなくて済むように、水分は押さえておこう。そう思っちゃうのも仕方ないと思うんです。

しかし、「早期離床」を金科玉条としているいまどきの病院は、そんなこと許しませんよ~。

前日の朝までICUにいた患者(←私)に、担当の外科医は言いましたよ。

「なるべく寝たきりじゃなくて動いた方がいいよ。今から廊下とか2往復くらいしてきたら?」マイガッ!!

いやその無理難題、一般企業で上司が言ったらパワハラものじゃないですか?患者ハラスメント?

しかし実際、一般病室に戻った翌日には、「ひとりでレントゲン室に行ってください」って指令も出ましたからね。病室は3階、レントゲン室は1階ですが。

看護師さんは担当医よりも(ちょっとだけ)優しいので、どうしても無理だったら車イスで運んでくれるというのですが……。

(トイレに行けるなら、その延長線上としてレントゲン室にも行けるかな?)

なんだかちょっと、自分の中の『プロジェクトX』が発動してしまったというか。頭の中に中島みゆきのテーマソングが流れちゃうみたいなアレで。

「今、真理子は自らを奮い立たせ、初めての領域へと第一歩を踏み出した」と、田口トモロヲの声で再生されたのですが、エレベーターの鏡に映った自分の姿は、ヨタヨタとしていて、『はじめてのおつかい・中年女性編』でしかありませんでした。

この話は続編へと続きます。

石橋真理子さん 2013年2月に乳ガンの告知を受け、現在も治療中。





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Last updated  2019.12.12 09:44:52
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