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カテゴリ:女を磨こう
昨日のフラメンコのレッスンで先生がやたら
「努力する方向を間違えたら、どんなに努力しても報われない努力なのよね」 とおっしゃってました。 さらに 「貴方達には表現力、というかクッとした芯がないのよね」 「それを貴方達にどう指導したら良いか分からない。細かいことまで一々言わないほうがいいのかしら?」 と悩んでいました。 まあ、元々はウチのクラスで1番上手な人がコンクールに出て、その人が舞台の上で踊るのを見た先生が自分の教え方が根本的に何か間違っている、というのに気づいた~というお話なんですけど。 ちなみに私は今週に入ってからの仕事でのバタバタで疲れていたので 「ああ、やっと何か違うと気づいたか~」 位の感想で自分の意見は言わずに居りました。 …申し訳ないけど、私自身は先生の教え方が悪いのでなく、何かもう一つ違うベクトルに向いているなというのに気づいてはいたんです。 細かい指導が悪い、というわけではないのです。 それは自分自身の動きをちゃんと把握し切れていない人にはとても必要な事なのです。 しかし、本当に踊り手としてちゃんとありたいと思うなら、それだけでは駄目なのはハッキリしているんです。 一番大切なのはその「フラメンコ」を通して見ている「人に何を伝えたいか」「自分はどういう踊り手でありたいか」がなければ意味がないと思うのです。 自分が振りを綺麗に言われたとおりにやっているだけに満足していたら、表現力とかは全然出てこないと思います。 つまり芯がない状態。 でもこの芯は他人から与えられるのでなく、自分で自主的に考えなければ意味がないのですから。 どんな芯を持ちたいか。 先生は芯を私達に持たせないといけないのに気づいていらっしゃったので、それを考えさせるように持っていく事を考えないといけないのでは~と思ったんですね。 同じように自分が仕事をするならば自分だけが遣っていることに満足していては全然駄目だし、使えない人としか見られないのは同じです。 ただ、仕事をするというのもある種の自分自身を表現しているのと同じ。 仕事を通してどう自分というものを表現し、社会に貢献するかを考え、そのために本当に必要な努力と必要な知識を得て動かないと、結局空回りしまくりのイタイ人になってしまいます。 職場でそういう何か勘違いしているイタイ人いませんか? 自分らしい生き方はどこか遠くに落ちているものでも探しに行くものでもありません。 本当にどうなりたいかを考えてそれに向かって正しい方向性の努力をすれば自分らしい生き方は自ずとできるような気がします。 …でも発展途上の私が言っても何の説得力もないとは思うのですけどね。 明日はセミナーのためブログはお休みします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.15 22:51:02
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