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June 29, 2024
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カテゴリ:仙台の歴史
本櫓丁(もとやぐらちょう)

昭和45年の住居表示で消えた町名「本櫓丁」は、晩翠通(細横丁)を境に、西側(立町)と東側(国分町)に分かれている。
ざっくり言うと、東側には仙台の歓楽街「国分町」があり、西側にはラブホテル街の雰囲気が漂う。



「《本櫓丁》通り」の標柱は晩翠通の西側(立町側)に建っていた。
標柱の近くにデリヘルの送迎と思しき車が何台か停まっていたので、車のナンバーとかドライバーさんが写り込まないように写真を撮るのがちょっと大変だったけど、声をかけられたりすることもなく無事終了。

とはいえ、今はラブホテルが目立つ立町側も、かつては料亭の街だったようで、歩いてみると確かにその雰囲気は感じられた。

「割烹 天ぷら 三太郎」


「割烹大多安」

仙台市のHPには、このあたりが料亭の多い町になったのは明治以降、と書かれている。

「藩政時代に国分町との角に火見櫓があったので櫓町と呼んだが、その後定禅寺通(北櫓丁)、元鍛冶丁(中櫓丁)にも櫓が建ったので本櫓丁と称した。(中略)
この櫓は元文三年(1738)勾当台に移った。元は侍丁であったが、一部には職人も住み、明治以降は料亭の多い町となった。」(仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」より)

本櫓丁は、昭和45年2月1日の住居表示で、国分町二丁目と立町のそれぞれ一部になっている。〔仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕



夜の飲食店が並ぶ東側(国分町側)にも、芭蕉園という歴史を感じさせるお茶屋さんがあった。元禄元年(1688)の創業とのこと。
本櫓丁の歴史を誇りに思う心が、どの店構えからも伝わってきた。

かつての本櫓丁は赤いラインのあたり





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Last updated  July 21, 2024 08:38:35 AM
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