カテゴリ:お出かけ
旧安田楠雄邸の玄関 昨日は、先輩ボランティアが文京区を案内してくださるというので、行ってきました。 まず最初は、コミュニティバス停から近くの「宮本百合子実家」「高村光太郎旧宅」 を見てから、旧安田楠雄邸へ。 ここにある門柱から察すると、実家の中条家は裕福なお家のよう 旧安田楠雄邸は、大正8年、「豊島園」の創始者で実業家の藤田好三郎によって 作られ、大正12年の関東大震災後、安田財閥の創始者安田善次郎氏の女婿・善四郎氏 が買い取り、住んでいた邸宅。 平成7年に善四郎氏長男の楠雄氏が亡くなり、そのあと夫人が庭園と建物を公益財団 法人日本ナショナルトラストに寄贈したもの。 文京区千駄木のお屋敷町で、敷地面積450坪で建築面積が140坪という広大な 屋敷 近代和風建築です。 応接室 サンルームではちょうど菊人形の菊付け体験を行っていたので、やらせてもらい ました。 なるほど、こうして作るのね 2階の客間から望む庭園は広く、緑豊か。 紅葉にはまだちょっと、と言った感じでした。 春の桜も素晴らしいそうです またバスに乗って、シビックセンターへ。ここでランチ 13階からの東京の景色を眺めてから、本郷三丁目の「かねやす」へ 江戸の時代には「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳に詠まれた場所。 中山道を北上すると、この辺から農村風な建物に変わってくるということのよう。 兼安祐悦という口中医者(歯医者)が店を開いて、乳香散という歯磨き粉を 売った。これが大層繁盛したらしい。 のちに洋品店となったが、現在は閉まっていて、プレートが掲げてある。 ここから、石川啄木ゆかりの地へ 石川啄木が、朝日新聞社の校正係として職を得て、理髪店の2階を借りて2年2か月 家族とともに住んでいた。 少し歩いて「文京ふるさと歴史館」へ。 ここは区の歴史や文化財を展示している。 中には、大きくて精巧なジオラマがあったのが羨ましかったです うちみたいな素人の作ではなくて、プロのだからね。 炭団坂(たどんざか)のそばの坪内逍遥旧居を通り、鐙坂(あぶみざか)へ。 ほんと文京区は坂が多いし、名前がまた面白い 次は、樋口一葉の菊坂旧居跡へ 狭い路地で、この辺だけ時が止まった?という感じだった。 もっとも、これでも最近はだいぶ開発されてしまったらしいが。 旧居横の路地に一葉が使ったと思われる井戸が残ってる 菊坂に上がって、一葉が通い詰めた「元伊勢屋質店」へ。 現在は、菊坂跡見塾、となっていて、跡見学園が所有している。 伊勢屋は万延元年の創立、昭和57年に廃業 土蔵は当時のままだそう 樋口一葉は、一家を背負って、ずっと生活の苦労があったのね。 「たけくらべ」「にごりえ」など精力的に著作を重ねたうえ、24歳で亡くなって しまうとは・・・。 久しぶりの街歩き、 いろいろとお勉強になりました。 それにしても文京区は文化人の多いこと。 文化財も多いようだし。 歴史的にも、江戸の時代から「京 みやこ」だったんだなあと感じました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年11月23日 14時19分20秒
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