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カテゴリ:考える日々。。。
「人を支えているもの」について、考えています。
通常は、「類は友を呼ぶ」の通り、価値観のわかり合える人、話の通じる人が周囲にいるため、人はそのようなものだと思っています。 当然、そうでしょ?って思う前提で話をしてみると・・・ 見事に話が通じないえっみたいなこと・・・。 上司、親、肉親など・・・選べない関係の時、人はそのように思うのではないでしょうか。 最近、そのようなことを経験しています。 自分の大切にしていたものについて、はっきりと確認できるのもそんな時です。 例えば・・・ 私が大切にしているもの(人間関係において) 信頼 信条 誠実さ コトバ : : 伝えたいと思うことがあるかどうか。 究極のところは、 感動の共有を求めている ということだと思います。 人は感動を求めて生きているのだと思っています。 どんな人との関係にも、何か生まれる可能性があります。 大事なもの 伝えたいと思うものを持っていさえすれば。 これがない人の間には、何も生まれません。 あれっどうして私のコトバが通じないのかしら。 そんな経験、めったにないのですが・・・・。 そうだ。 この人には「伝えたいもの」がないのだ。 そう思いました。 自分の内部からふつふつとわき上がるもの。 それを伝えたくて、理解してほしくて、人は一生懸命になれる。 それがない人に出会った時、 「何を支えに生きているのだろう」と、思いました。 おそらく、目に見えるもの、形のあるものに価値を見いだしているのでしょう。 数字 地位 業績 年収 : : そうしたわかりやすいものに。 外側から見たら「結婚している」という立場は、 幸福なのか、不幸なのかわかりません。 「子供がいる家族」を持つという、危なげのない安定した(ように見える)ステイタスも 幸福な家族なのかどうかは、外側からはわかりません。 「結婚している」ことが重要なのではない。 お互いが触発しあう「カップル」であるためには、 2人が互いに存在価値を認め合っていなければ成り立たない・・・ 「私を支えているもの」についてよ~く知っておくことは、生きる上で絶対に役に立ちます。それを知らなければ、何を時間軸の中心に持ってくるのかを決めることはできません。 人生は時間との戦い。 優先順位を決めなければ、大事なことはどんどん後回しになってしまいます。 何を形にしたいのか、ぶれない柱を持って生きていきたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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