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テーマ:滝川市小学生自殺事件(1)
カテゴリ:その他の話題
昨日は滝川市教育委員会への抗議電話の内容を紹介したので、今日は簡単な考察を付け加えておきたい。
この事件は二つの絡み合う要素からなっている。 1.三年に渡るクラスメートのいじめに耐えかねて小6女子が自殺したこと 2.女子が遺書の中でいじめを指摘していたにもかかわらず、滝川市・市教育委員会・学校はいじめの存在を一年間に渡って否定、遺書も公表せず、従って市・学校等行政側に責任はないと言い続けてきた 1.のいじめは残された7通もの遺書に詳細に書かれている。いじめは3年生の頃から始まっていたといい、キモイと云われ、席替えでもつまはじきにされ、修学旅行の班編成の時にも仲間はずれにされていた。 この学校は小規模校で、女子の学年は一クラスしかなく、3年から(1年から)6年までクラスは持ち上がりでずっと同じメンツだった。これが結局、いじめをより陰湿化・長期化させた最大の原因だといえるだろう。なにしろいじめる側の顔ぶれはずっと一緒で、おそらくそれは多数を形成していたにもかかわらず、外的要因が介入する要素が極端に少なかったからだ。 担任教師がずっと同じだったかどうかは判明していないが、たとえ毎年変わっていたとしても、このいじめに誰も気づかなかったはずがない。席替えや班編制時はホームルームの時間に行われるはずで、教師がその場に居ないはずが無く、子供達が一人を集中的に攻撃していることに絶対に気づいたはずだ。 女の子は3年の間同じ連中からいじめ抜かれ、ついには首を吊った。場所は悲しみと恨みがこもる教室だった。そして遺書はきちんと教壇に置いてあったという。女子の字は非常にしっかりしていて、また文章も簡潔で頭の良さを感じさせる。もしかするとその利発さが他の凡庸な連中の攻撃の的になったのかも知れない。 2.の滝川市(学校、教育委員会)はこの事件での責任から一年間も逃げ続けてきた。私がかけた電話では未だに「調査中でして」などとふざけた事を言っている。女子が亡くなったのは昨年9月、加害者達はとっくに卒業してしまって捜査権のない調査など出来るはずがない。でも誰も責任を取りたくないから「一生」調査中にしようとしていたのだ。 小さな町だから遺族に対するプレッシャーも相当なものがあったと推察される。いじめ側が多数派なのだし、行政も隠蔽しようとするから何の進展もなく、「なんだあの野郎、騒ぎ立てやがって」「ムラの恥をさらす気か」「死んだやつにも責任がある」等の誹謗中傷があったに違いなく、「地域の安定のために泣き寝入りしてくれ」のような圧力もあったに違いない。 そうした圧力があったればこそこの事件の発覚が遅れたのだと思うが、最終的に遺族は泣き寝入りせず、地域からの「ムラはちぶ」になる恐怖を超えて、少女の遺書をマスコミに公開、今回の騒ぎに発展。ようやく市長・教育長が遺族に謝罪するに至った。 しかし当然ながらこれで一件落着ではなく、全ての始まりである。 行政側はいじめという行為があったと認めて謝罪をしたのであるから、そのいじめの原因と犯人を究明しなければならない。それがはっきりしてこそようやく少女の無念も少しは晴れるというものだ。 そして遺族に対する補償。これは誰が負うべきかというと、優先順位としては少女を自殺に追い込んだ犯人、そしてそれを黙認した行政ということになるだろう。そのためにも、何年かかっても犯人を特定すべきだ。子供達に、いじめによる自殺は「殺人」だという意識を植え付けないと、このような事件は決してなくならない。 だが前途は暗い。マスコミ報道が一過すれば、市側の対応はまたもやスローダウンするだろう。 滝川市のHP、教育委員会のHPにはどちらも今回の事件について全く触れていない。僅かに市長の動静コーナーで10月5日、「遺族に謝罪訪問」とあるだけだ。市長が謝罪しなければならないほどの大事件を全く広報に載せない行政など、到底信用できるはずがない。 かくなる上は、遺族側はこの事件を司法の場に持っていくべきだと私は思う。市側に自浄能力などあるはずもなく、全てはその場限りの言い逃れに過ぎない。司法を介入させて責任の所在を明確にさせ、裁くものは裁く。そうしてこそ、ムラ社会に一筋の光明を当てることが初めて可能になるのだと考える。皆さんも是非、この事件の顛末に注意していていただきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月07日 16時31分04秒
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