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カテゴリ:哀
知人の女性が亡くなっていたことを、インターネットで知った
留学先の海外でお亡くなりになったそうだ その事が書き込まれたのは2005年 つまり2年前ということになる 数年前に仕事を通じて知り合った程度の間柄なのだが、やはり自分が存じ上げている方がお亡くなりになったことを知ると、付き合いは浅かったとはいえ胸が痛む もう何年もご無沙汰していたので、その話はあまりにも唐突すぎて、驚きと悲しみは隠せず、暫しパソコンの前で呆然としてしまった しかし、その“女性の死”を伝える書き込みはいささか信憑性に欠けるものであった というのも、情報が寄せられていたのが、某巨大掲示板のサイトだったからである 匿名という利便性を活かしてか、誹謗中傷・虚実入り乱れる書き込みが日夜繰り広げられて氾濫しているなかで、埋もれるようにして、その情報は書き込まれていた 情報によると、留学先の海外で亡くなったというものだったが、自動車事故で亡くなったというものと、テレビに頭をぶつけて亡くなったという、二つの情報が書き込まれていた 錯綜する情報 唐突に知った知人女性の死 なぜ若くしてこの世を去らなくてはならなかったのか その真相を知りたい思いでいた自分にとっては、この入り乱れた情報が、真実を導くための唯一の手掛かりであるがゆえに、歯痒くもあり、腹立たしさをも感じていた 匿名の書き込みだからといって、一人の人間の死を冒涜する権利がどこにあるのだろうか? 面白半分なのか、それともその女性に個人的な感情があったのか、書き込んだ主の思惑は判らないが、書いていい事と悪い事を判断して、ぜひ自分の言葉に責任を持ってもらいたい 現に、2年前に何気なく書いたかもしれない1行の文章が、こうして今でもネット上で周知に晒されている 本来であるならば、故人を偲ぶ人たちの記憶の中で生き続けるものが、ある人物による心無い書き込みのせいで、今もなお女性の死は興味本位で晒されているのだ これは、言葉・文字の暴力としかいいようがない 以前女性から届いた、年賀状や暑中見舞いの葉書を出してきた そこには笑みを浮かべている姿が映っていた 女性が書いた文字を指でなぞってみると、昔の記憶が蘇ってきた 自分が知っているその女性は、理知的で、非常に大人びた方で、当時若かった自分としては、ちょっと苦手意識を持っていたことを思い出した 自分の夢を叶える為に留学し、その地で迎えた悲運な最期 夢や希望に満ち溢れていただろうに、その無念さは計り知ることはできない 2年前のある書き込みが、自分に投げかけた波紋 様々な情報は、そもそも彼女の死を伝えるものですら疑わしく思えてきてしまう が、連絡先はおろか、彼女の交友関係すら知らないので、その真相を知る手立ては無い たとえ真相は闇の中にあるとしても、自分の記憶の中でその女性は息づいている それでいいのかもしれない 深く事の真相を追求したところで、それは悲しみしか生まれないのだから… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月03日 18時06分11秒
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