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根津と言いますと先ず根津神社を挙げねばなりません。「津」という言葉は海を表わしますから、数千年前の縄文海進期には、この付近は海辺であったのでしょう。根津神社は本郷台地が谷間に下りたところに建っています。神社の創祀は日本武尊の頃といいますから非常に古いのですが、徳川時代になって幕府の保護を受けて今日の立派な権現造りの社殿を擁し、谷根千の鎮守の森となりました。(写真1)
写真1 根津神社 西欧では町や村は、中心に教会があって、それを取り囲むように発達しますが、日本の伝統では、社寺は聖なる場所で、人里から離れた所に祀ります。従って、根津の町並みは、不忍通りを挟んだ、根津神社から離れたところに発達しました。 幸いこの根津の町は戦災に遭わなかったので、戦前の東京の下町を、そのままの姿で残している珍しいところです。 震災にも戦災にも焼け残った珍しい三階建て木造建築物が不忍通りの裏通りに建っています。最初はこの建物は不忍通りの表通りに面していたのですが、道路拡張で正面を削りとられて、今は裏通りを玄関にして串揚料理屋として営業しています。(写真2) 写真2 三階建木造の料理屋「はん亭」 その裏通りの更に裏通りに入ると迷路のような路地が続き、家の前に鉢植えが並ぶ中庭のような狭い路地を抜けて行くと、古い木造長屋が軒を連ねて並んでいます。二階建ての長屋ですから昭和に入ってから建てられたものでしょうが、戦前の下町の庶民の生活が分かります。(写真3、4) 写真3 路地裏の庭造り 写真4 木造二階建長屋 また、根津は職人の町でもありましたので、今では都内では見られない珍しい染物と洗張や屏風と襖の商売を営む店があります。いずれも古風な商売に相応しい古風な佇まいの建物で営業しています。(写真5、6) 写真5 染物・洗張の商店 写真6 屏風・襖の商店 谷根千の界隈は町中で誰もが猫を可愛がるので、至る所に飼猫ですが野良猫のように路上や空き地に屯しています。根津もその例外ではなく、小綺麗な猫たちは歩行者が近づいても少しも恐れず、裏通りを占拠しています。これも長閑な下町の風景です。(写真7) 写真7 猫の社交場 このような日本の古い町の雰囲気は外国人にも好まれるようで、観光客が狭い路地を歩く姿を見かけます。中には安い下宿を見つけて住み着いている外国人もいるそうです。彼らは高層ビルが建ち並ぶ近代都市は見慣れており、逆に狭くて古びた日本の下町に安らぎを見つけるのでしょう。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
先日、根津の路地裏でお会いした猫々魚庵です。
初めて来たのに知っているような懐かしさを感じる町があります。 日本人の原点にある風景なのかも知れません。 時間と共に消えて行く町並み・・日本人の心も消えてしまうような切ない気持がします。 故郷に会いたくなったら訪問いたしますね。 これからも、いっぱいお写真を見せてください。 (2011.11.13 11:05:56)
ご訪問有り難うございます。
先日は谷根千の写真撮影に出かけたとき、偶然お会いしたのに、詳しいご案内を頂き有り難うございました。その際頂戴した谷根千の地図を頼りに、その後も千駄木を歩き、来月は谷中を歩くつもりです。 谷中を撮影するときには、足を伸ばして、あなた様の猫々魚庵に立ち寄り、作品を見せて頂きたいと思います。 (2011.11.20 22:00:29)
昨年11月にお会いしました猫々魚庵にゃにゃもあんです。
昨年はまだ準備中でしたが、今年10月にやっとオープンいたしました。 全館ねこいっぱいの美術館です。 また、こちらの方へおいでの節はお遊びにいらしてください。 〒113-0031 文京区根津 2-17-1 猫々魚庵にゃにゃもあん 開館日:木曜日~日曜日・祝日 開館時間:11:30~17:00 是非いらしてください。またお会いする日を楽しみにしております。 (2012.12.14 08:18:48)
根津神社はもとは甲府徳川35万石の山手屋敷跡。藩主が6代将軍になる祝いに産土神社として建立されました。今でこそ谷根千は下町と言われますが、寺地・武家地ばかりで門前・神社前町以外に一般のは町はなく、多くが明治になって初めて町になった地域です。だから震災も戦災も免れてきたのです。
(2013.04.22 13:21:45)
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