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2022.09.28
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このたびの台風15号での
水害の話で思い出した

私の幼児期の記憶のなかの
清水での水害の話​を先日書きましたが、

その話を実家ですると、

学生時代に名古屋在住で
伊勢湾台風を経験した親が、
「あの時はもっとひどかったよ……」

という話になるのがさらに怖いのです……







おりしも戦後十数年が経った復興期、
当時、親の実家は建築関係の仕事をやっており、

抱える職人さんたちが
川沿いの地域に住んでいたりして大変な被害にあい、

(建築資材を河川で運んだりするため、
 近隣に貯木場があったりして
 さらにその流木で被害が拡大した)

幸いにして被害が少なかった実家では
大急ぎで炊き出しをして
まだ学生だった親が
おむすびをそのお宅まで届けたりしたと

そういう話をしてくれたこともあります。

さらにその後には、
家族に「もう子供ができる事はない」
「学生は勉強してろ」と言われて登校し、

ちょうど学校の様子を見にいらしていた用務員さんに
「……休校だよ……?」と呆れられたとか。
真面目だ。



しかしあのあたりの地域は、
戦争末期にも​昭和東南海地震​があったりして

本当に災害が続いて大変だったのだなと思うと同時に
つくづく日本は災害大国なんだなと実感します。



そういえば、
その昭和東南海地震についても、
かつて私自身が職場で話を聞く機会がありました。

これは静岡県西部での話ですが、
曰く、

「夫が戦争に行っていたので
 一人で赤ん坊背負って子供抱えて
 田んぼの真ん中に逃げた」


とか、

「山の方にいた時に地震が起き、
 浜松の街を見下ろしたら
 家の屋根が波のようにうねっていた」

とか。

前者を話してくれた方はもうとうに故人、
後者の方はご存命ですがご高齢。



戦争の話もですが、
こうした経験者の話をじかに聞くことができるのも
もうタイムリミットに近づいていますし

幸いにして話を聞くことができた私も
もうそれなりの年齢ではありますし、

こうしたブログの片隅にですが、
記憶と記録を残しておくのも
何かのためにならないものかと思いつつ
したためておきます。





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最終更新日  2022.09.28 17:00:12
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