御陵で「かまど」の話を思う
御陵とは「天皇の陵墓」のことを指しますが、堺市では「御陵」は仁徳天皇陵のことを指します。「たかきやに のぼりて見れば 煙たつ 民のかまどは にぎわひにけり」御廟山古墳を後にして、上の和歌の詠み手である「仁徳天皇陵」に向かいました。通称 仁徳天皇陵は正式名を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」といいます。我が国の前方後円墳で最も大きく、世界でもクフ王のビラミッド、秦の始皇帝陵と共に世界三大墳墓の一つに数えられるものです。ここも宮内庁の管轄ですので当然入ることはできません。あまりの大きさに一望することもできません。これが模型です。完璧な形をしていることがわかります!これだけ大きな古墳がどうして作られなければいけなかったのか?と考えた時に 思い浮かんだのが「かまど」の話でした。仁徳天皇陵は後世の理想であり手本とするにふさわしい善政を行った天皇として、特別な尊敬を集めた天皇です。かの頼山陽(らいさんよう)の「日本楽府(にほんがふ)」にも「炊煙起」(すえんおこる)として取り上げられています。仁徳天皇陵が春に 高殿にのぼって国の中を見渡してみると炊事をする煙が見えなかった。「これは人民が貧しくしているからだろう。 これから三年は年貢を免除してやって、 国民の暮らしを楽にしてやろう」年貢がなければ、朝廷に入るお金が途絶えてしまうので、宮中は雨漏りがして、着物もぼろぼろになった。三年ばかり経ち、外の様子を見てみるとかまどから炊事の煙が立つようになっていた。煙已に起る。天皇喜ぶ。一方、民衆はみんな豊かになって、家にも蓄えが出来た。「自分達がこんなに豊かになったのに、 宮殿の修理をしないでいては天罰があたる」ということで、申し出てたが天皇はなかなかお許しにならなかった。やっとのことでお許しが出ると、民衆が日夜問わず競うように働いて宮殿を作り上げた。これは余に美談ですが、この大きな御陵を眺めていると、後世の尊敬を集め善政の手本とされた「かまど」の話が本当だったのだなあと感じました。現在でも度々話題になる「無税国家論」はこのかまどの話から由来しているのです!なるほど!確かに後世が手本とするような善政です!大きな大きな御霊を感じます。