|
カテゴリ:カテゴリ未分類
とうとう山口県萩市にやってきました。
萩津和野といいますが、津和野は島根県です。 萩は港がある町です。 この静かな町は旅行雑誌で萩津和野として有名。 でも、江戸幕府から明治維新への革命を生み出した 日本史上、特別な町でもありました。 ![]() ![]() その代表的な場所が、ここ吉田松陰の松下村塾ですね。 松陰は明治維新の事実上の精神的理論者とされる有名人。 過激な行動に問題もありましたが、 その明晰な頭脳と行動力で、 多くの有望な若者を倒幕の騎士 さらには維新の指導者に育てるきっかけを作りました。 でも安政5年(1858年)、 幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと 松陰は激しくこれを非難して、 老中の暗殺を企てたことで、 長州藩は警戒して再び松陰を投獄しました。 翌年幕府の安政の大獄により松陰は江戸に送致され、 松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、 同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処されました。 享年30(29歳没)の短い人生でした。 松陰はそれまでも自らの死生観を開示しており、 それには人生は人生は長さで 勝ちが決まるものではないと書かれてあります。 彼はここに有効な死に場所を見出したということなのでしょう。 わざわざ死刑にしてくれと 言わんがばかりの供述だったそうですから。 そして彼の意図は成就しました。 彼の周辺にいた麦が目をふき、花咲き、 明治維新という身を結んだのです。 キリスト教でいう「一粒の麦」がまさに成立したのです。 松の木の下の小さな寺子屋、 ここから日本をくつがえした思想が行動が 芽生えたのですからすごいことです。 松陰はここから世界を見ていました。 今の日本の政治を見て、彼なら何を助言するでしょうか。 国民不在の党利党略に終始する政治状況に、 江戸幕府末期よりもひどいというのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|