カテゴリ: 映 画
映画『ナイトクローラー』をみてきました。
今年、映画館でみてきた映画(約20本)の中でナンバー1な作品でした。いまのところ。 主人公はフリーの報道カメラマン。そういうと聞こえはいいが、いわゆるパパラッチのようなことをやっていて、事件や事故など、できるだけ血生臭い現場をビデオカメラに収め、それをテレビ局に売りつけて生計をたてている人である。そんな主人公をジェイク・ギレンホールが獣のごとく目をギラつかせ見事に演じている。 ここから先はネタばれ的な情報が含まれるので、この映画をみるかもしれない人は読まないほうがいいかと思います。 映画の冒頭、主人公の男はケチなコソ泥をやっているので、こいつは悪いやつだなんて視点で彼を追いかけていくことになるが、見終わってみると――さて、こういった男を悪人だと簡単に片付けてしまっていいのだろうかと複雑な気持ちになったのだ。それは彼に対して何かしら感情移入できるが故、あんな悪い奴を認めるなんて自分もどうかしてるってことになりはしないかという思いである。 彼にとって一番重要なことは、自らが存在する意義を明確に立証すること。その意味においてまず、どれだけの人が彼のことを他人事と受け流すことができるだろう。 彼は、一般的に正しいとされている道徳観念にあまり価値を感じていないという特殊性はある。目の前で事故に遭っている人を助けるより記録することを優先する人であるからだ。それはいけない事かもしれないが、だがそれは悪だろうか。一応フィクションとして、彼は事実を記録するだけに終わらず、そこに手を加え更に刺激的で悲惨なものにしていくが、そういった部分は置いておくとしてである。彼にとっての仕事はあくまで、自らが持つと信じる力を表現する為のツールにすぎない。そんな強い思いだけを抜き出し描ききると、ああなってしまうのは決して彼だけではないだろう。そんな姿は誰であれ、きっと不気味なものなのだ。 また、テレビや新聞・ネット等において報道されるものが誇張されたものであったり誰かの意見が介入していることは多分にあると思う。だから報道されるもの全てを鵜呑みにしてはいけないが、過激なものを多少なりとも喜んで受け取っていると、自分も共犯者なのではないかとも思えてくるからたまに怖くなる。そんな覚えはないだろうか。この映画は暗にそういう部分にもライトを当て薄っすらと浮かび上がらせている。需要と供給である。パパラッチを生んでしまったのは今の世の中であり、その中に生きていながら、自分は関係ないとは言えない。その息苦しさ、生き苦しさが伝わってくるのだ。 更にこの映画が不気味で意外だったのは、不誠実なやり方で成功していく主人公が、そうやって更に力をつけ、たくましく生き続けて行くという終わり方をしているところだ。この男は不幸になって終わるんだろう、なんて漠然と見ていた自分の、ものの見方の甘さを突きつけられる思いがしたのだ。実は彼のような人間が世の中にはいっぱい(?)いて闇に紛れ、はびこっているのかもしれない。 正しい道に気がつき生き方を改める、そういう物語もあるだろうが、そんな描き方をしてしまう方が、ここでは嘘になってしまうのかもしれない。そう、ここで描かれたことはある意味、真実なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.30 13:01:04
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