比べることは無意味~サイパン島が教えてくれたこと~
●比べることは無意味~サイパン島が教えてくれたこと~2004年10月31日。3歳違いの弟の挙式に参加するため、家族より1日遅れでサイパン島へ降り立った我々を待っていたのは、小さな小さな国際空港でした。もしかしたら、先日屋久島に行くとき経由した鹿児島空港よりも小さかったかも知れない。成田から約3時間のフライト。余程日本からの旅行者が多いのでしょう。あちこちのサインに日本語が目に付きます。外国へやってきたはずだけど、今ひとつ「はるばる感」が沸かないなあ。そんな第一印象を抱きながら、私とホトケはホテルへの送迎バスに乗り込みました。私もホトケもサイパンは初めての上、出発の前日になって「サイパンってどこの国?」なんて会話をしているのどかモノ。正直、サイパンがあんなにも日本人観光客向けに設えられたような国であるとは、ちっとも想像していませんでした。これまた日系のホテルで、先に到着していた家族と再会を喜び合ってからも、なんだか落ち着かない気持ち。屋久島と同じように、島なんだけど、まったく違う。グアム島と同じように、英語圏なんだけど、やっぱり違う。どうしてだかなじめないなあ…。視界いっぱいに広がるサンゴ礁の海を眺めながら、なぜだろうと考えつつ、次の日の朝を迎えました。翌朝は、打って変わってすがすがしい気持ちで目が覚め、ずっと前からこの地にいたような心持ちになっているのが不思議です。一晩で、ようやく土地のエネルギーになれることができたのだと合点。そのころには、サイパンと別の島を比べることの無意味さにも気が付いていました。いいとか、悪いとか、そんな価値基準は存在しないのですね。というよりも、その決定にあまり意味がない。サイパンはサイパンだし、屋久島は屋久島、グアムはグアム。事象にいいも悪いも比較もないのです。何か別のものと比べることで初めての土地を理解しようとしている間は、まったくなじむことができないし、土地のエネルギーからも拒絶されてしまう。きっと寝ている間になじんでしまうことの自然さや素直さを、私たちはもっと大切にしたほうがいい。土地だけでなく、人も出来事も何もかも同じだと思いました。何かと比べているうちは、決して本質に近づくことはできないのですね。「比べないで」と、寝ている間に土地が話しかけてくれていた気もします。何かと何かを比べない。誰かと私を比べない。私は私、誰かは誰か。そうやって初めて見えてくるものがあるのですね。愛しているなら、決して比べないで。ただ認め、存在を受け入れるだけでいいのだから。安らかな日々も平和への一歩も、同じ営みから生まれる繰り返しにしかないような気がした挙式当日の朝でした。