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昨日、東京六大学野球フレシュトーナメント3位決定戦で立教大学の赤塚瑞樹選手(2年)が神宮球場のマウンドに初登板しました。
赤塚瑞樹選手は東京六大学野球リーグ初の両投げ投手で、4対3という1点リードの7回から登板。 2/3回を投げて1安打2失点(自責0)、1奪三振でした。 試合は7対5で早稲田大学に勝ちました。 赤塚瑞樹選手は神宮のマウンドに上がると投球練習で右左右と投げ分けてウォーミングアップを。 先頭打者の左打ちの山野選手には最速141キロを誇る右投げで臨み、二塁ゴロ失策・センター前安打・デッドボールと無死満塁のピンチを招くと続く4番打者の和田選手を迎えた場面では二塁ゴロ野選で失点。 5番重田選手は右投げで空振り三振を奪い、6番左打者の富田選手を迎えると左投げにスイッチし左犠打を許し2点失ったところでマウンドを降りました。 ベンチの指示で右投げ、左投げを投げ分けた赤塚選手は「いい緊張感で投げられた。自分の中でも出すものは出せた」と初登板を振り返りました。 右で19球、左で3球投げました。 本来は右利きですが、小学2年生の時に父親から勧められて両投げに。 岐阜・麗沢瑞浪高校時代は甲子園出場はなかったのですが、高校時代から両投げ用のグラブで1人ごとにスイッチして投げるのが話題になっていました。 最速で右で141キロ、左で130キロ。 「目指すのは両方ともで本格派。利き腕は関係なく直球で押していけるような投手になりたい」と来春からのリーグ戦デビューを目標に掲げているそうです。 両投げだけでなく両打ちでもあります。 日本のプロ野球で両打ちいわゆるスイッチバッターはいてもスイッチピッチャーは近田豊年(ちかだ とよとし)選手だけです。 近田豊年選手は1987年(昭和62)当時あった南海ホークスに入団して 1990年(平成2)オフに阪神タイガースに移籍し翌年引退しました。 左右どちらでも投げられる6本指グラブという特注のグラブを使っていました。 赤塚選手もやはり6本指のグラブを使用。 メジャーリーグでは6人、スイッチピッチャーがいて1981年から1985年に活躍したグレッグ・ハリス選手は赤塚選手と同じくスイッチバッターでもありました。 2015年(平成27)に行われたブレミア12の日本戦やアメリカ戦で登板したメキシコ代表のエサウ・マドリガル・ハリス選手は記憶に新しいスイッチピッチャーですね。 画像はネットから借用しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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