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1948年(昭和23)9月16日
配給制だったマッチの自由販売が認められました。 1938年(昭和13) 綿糸配給統制規制によって国内綿糸の消費量が規制されたのが始まりで以後 1939年:電力調整令 1940年:砂糖・マッチの切符制 1941年:米穀配給制 1942年:衣料総合切符制 と続きました。 戦争の長期化で、日用品から生産資材に至るほとんどの物資が統制配給の対象となっていました。 明治初期、日本ではマッチの小箱1箱が米4升と見合う高価な輸入品でした。 1875年(明治8)4月 フランスで学んできた実業家の清水誠氏がマッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実(よしい ともざね)元老院議官の東京・三田(みた)の別邸に構えた仮工場でマッチの製造を開始し大成功を収めました。 のちに東京・本所(ほんじょ)に新設した工場で本格的に生産を開始。 日本における国産製造マッチの始まりです。 2017年(平成29)3月31日 家庭用マッチのトップメーカーであった兼松日産農林がマッチの製造販売事業から撤退。 象印・燕印・桃印などの商標は兵庫県の日東社に譲渡。 象印・燕印・桃印のマッチ製造販売は日東社が引き継ぎを。 日東社は元々自社ブランドで 時計印 大丸印 のマッチ製造販売をしています。 マッチの国産製造販売会社はほかに 中外燐寸社 東亜燐寸 大和産業 などがあります。 画像はネットから借用しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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