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テーマ:Jazz(1961)
カテゴリ:Album
今日は、アメリカのジャズ・トランペット奏者であり、ジャズ・シンガーでもある、
チェット・ベイカーが生まれた日です。 ●チェット・ベイカー(Chet Baker) 本名:Chesney Henry Baker Jr. 1929年12月23日、アメリカ、オクラホマ州イェール生まれ。 1988年5月13日、オランダ、アムステルダムにて死亡。 58歳。 ---------- チェット・ベイカーは、1929年12月23日に、 アメリカのオクラホマ州イェールという町で生まれましたが、 すぐにオクラホマシティーに越し、そこで育ちました。 その後、1940年にカリフォルニア州のグレンデールに引っ越し、 ウエスト・コーストの地で少年時代を送ります。 カントリー・バンドでギターをプレイし、ヒルビリー音楽のラジオ番組をもっていた彼の父親は、 音楽に興味をもっていた13歳のチェットに、トランペットを与えました。 1946年、彼は16歳で軍隊に入り、そこで初めてジャズと出会いました。 ジャズの虜になった彼は、除隊後ロスのエル・カミーロ大学で音楽理論を学びますが、 1950年に再び徴兵され従軍します。 除隊になるとロサンゼルスで、本格的にジャズ・ミュージシャンとしての活動を始めました。 当時、ジャズの中心地は完全にニューヨークでしたが、 ニューヨークで活躍していたアルト・サックスの巨人、 チャーリー・パーカーが、1952年に西海岸ツアーを行うためにロスにやって来ました。 その時、ツアーのサポート・メンバーを決めるためにオーディションが行なわれ、 そこでチェットが選ばれました。 チャーリー・パーカーは、チェットのことを気に入り、彼を正式なトランペッターとして迎え、 1952年から1953年にかけてチャーリー・パーカーのバンドに在籍しました。 1953年のアルバム『The Bird You Never Heard』など、 チャーリー・パーカーの何枚かのアルバムのレコーディングにも参加しています。 同じ頃、チェットはロスのクラブ「ヘイグ」で行われたジャム・セッションに参加し、 そこでバリトン・サックス奏者のジェリー・マリガンと出会いました。 二人は意気投合し、その後一風かわったピアノ・レス・バンドを結成し、大きな話題となり、 ウエスト・コースト・ジャズというジャズの新しい流れを生み出すきっかけになりました。 しかし、このバンドは1953年にジェリー・マリガンがドラッグの不法所持で逮捕されたため、 解散することになりました。 そのため、チェットはソロ活動を行いましたが、ひょんなことから歌を歌うことになり、 チェットのヴォーカルをフィーチャーし、1954年に10インチLPとしてリリースされたアルバム、 『チェット・ベイカー・シングス』が大ヒットしたため、一躍注目を浴びるようになりました。 以後はトランペッター兼シンガーということで活動し、 中性的な独特の歌唱と、角度によってはジェームス・ディーンに似ているそのマスクから、 ジャズ界のジェームス・ディーンとも呼ばれ、 全盛期にはマイルス・デイヴィスも及ばないほどの人気を博しました。 彼は、影響を受けたミュージシャンとして、 1950年代~1960年代のマイルスを挙げています。 「僕のジャズ・トランペッターとしてのスタイルを決定的にしたのはあの頃のマイルスだ。 あの演奏を聴いて、その真似をしたんだよ。 50年代60年代のマイルスの音楽世界はとにかく素晴らしいよ」 と語っていたそうです。 チェット・ベイカーは、ジャズのイキなところを見事に表現したところが、この人の魅力でしょう。 そして、彼の生き様は栄光と挫折が織り成す波乱万丈の人生ドラマであり、 まさにジャズ・ミュージシャンを絵に描いたような超破滅的人生そのものが、 「チェット・ベイカーのジャズ」という音楽であったと言えるでしょう。 ジャズと女と麻薬の人生・・・。 そして、アムステルダムのホテルからの転落死という最期をむかえるのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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