『第3の案』スティーブン・R・コヴィー 学校編
学校も企業も刑務所に似ている。監視が強まればそれだけ個人性の尊重が弱まる。個人が独自の天賦の才を発揮していかに貢献したかではなく、命令に従順に従ったかどうかで賞罰を受ける。主体的に行動するのではなく、命じられて行動するように人を仕向けていたら、社会が反映する機会は失われ弱体化する。 教育がすべきは、子どもが自分の潜在能力を最大限に発揮できるよう手助けすることである。 生徒と教師は毎日成功を味わいたいのです。生徒が求めているのは成功です。生徒はそのために学校を雇うこともできれば、ギャングを雇うこともできる。あるいは車を借りて乗り回せば、成功者のように見える。若者が成功を感じる方法の全てが学校の競争相手なのです。いまの学校は、ほとんどの生徒が自分を失敗者と感じる仕組みになっています。それが分かれば、生徒が成功を味わえるように、いまとは全く別のあり方を考えられるのではないでしょうか。(クレイトン・クリスチャンセン) 教育における第3の案は、子どもたちをリーダーに育てるための教育である。自分の人生を自分で導いていく能力、友人たちや家族の中でリーダーとなる能力である。自分の世界を能動的に、創造的に動かす力になれること、それが私の言うリーダーシップである。 真のリーダーは、成功を自分の言葉で定義する。他人に定義してもらったりはしない。そして人格と能力を高め、原則に従って行動し、確かな成功を成し遂げる。 このようなリーダーになる教育を受けた子どもの場合、成功は内から外へ生まれ出るのであって、逆ではない。外から来る成功、例えば学校時代の成績、社会に出てからの高い報酬や立派な肩書きといった褒美は、二次的な成功である。それに対して、自分が得意なことを発見することで得る自信、他者に対する経緯、自尊心、独自の創造的な貢献をしたことによる深い満足感、誠意、公正な奉仕といった豊かさは、内面から生まれる一時的な成功である。一時的成功の方が豊かであり、誰でも手に入れられる。誰かと競争する必要はないのだ。そして一時的成功には自然と二次的成功もついてくるのである。 まずは成功というものに対する生徒の考え方を変えなければならないことは明らかだった。生徒が自分自身の中にリーダーを見つける手助けをしなければならない。 このリーダーシップモデルがこれほど成功しているのはなぜだろうか。第一に、出発点のパラダイムである。一般的なプロジェクトでは、成績分布曲線、つまり成績の善し悪しのレンズで子どもたちを見る。それに対してこのモデルは、生徒全員が優秀で、一人ひとりがリーダーだととらえるところから始まるのだ。第二に、インサイドアウトの原則に従っている。第三に、このモデルでは共通言語を使っている。教師、生徒、親が同じ言葉を使い始めると、複利効果のように影響は驚くほど広がっていく。その共通言語とは、7つの習慣である。そして最後に、そのモデルは学校全体でまんべんなく取り入れられている。どこでも、いつでも実行されている。 教師たちの言葉を借りれば、「やることが一つ増えるのではなく、すでにやっていることをより効果的に行うこと」なのだ。