『臨機応答・変問自在』 森博嗣 著
9ページ意外にも、教えることのうちの9割方は自分が学ぶことだと気づいて、割と楽しめるかもしれないなくらいには思いなおせるようになった。逆に、人にものを教えたい人ほど、教育者には向いていないのでは、とさえ思う。11ページ高校までの教育では、問題が提示され、それに答える技術が伝授される。なるべく正確に、そして迅速に、与えられた問題を解答する能力、それが社会人として期待されている基本的な能力のひとつであり、これが学校で養われる。(中略)しかし、それがすべてではない。12ページグループでリーダーシップを発揮するのがエリート(筆者はこの言葉を悪い意味には決して使わない)である。彼らの仕事のほとんどは、常に問題を発見することにある。問題を解決してくれるスタッフは大勢いるからだ。(中略)問題を明確することが彼らの仕事なのである。13ページ人は、どう答えるかではなく、何を問うかで評価される。たとえば、就職の面接で、「何か質問はありませんか?」と面接員に尋ねられたとき、的確な質問ができるかどうか、そこで評価される。14ページ結局のところ、教育とは、受け手に「学んでやろう」「吸収してやろう」といった積極性が存在しない限り、ほとんど無駄だと断言して良い。教育そのものが成立しない、といっても過言ではない。すなわち、「教える」という行為は単独では成り立たない。学習する側の「求める姿勢」「意気込み」こそが不可欠であり、それが教育の必要最小限の成立条件といえる。もし、教師にできることがあるとしたら、実にささやかな範囲ではあるが、学生にその「やる気」を出させることだけだ。「その気にさせる」という騙し騙しの行為しかない。できることは、僅かにそれだけなのだ。15ページ問う学生は、口を開けている雛鳥のようなもので、そこに餌を与えるのが教師の役目だと思う。口を開けていない者には、与えることができない。18ページ知らないことを質問されたら困る、と心配する教師もいるだろう。しかし、知らないことは全然恥ずかしいことではない。百科事典が世界で一番偉いと思っている人はいない(いてもごくすくないだろう)わけで、「知らない」とは倉庫の中にまだ余裕がある、という意味であって、むしろ喜ばしい状況ではないか。だから、それを恐れてはいけない。自分が何を知らないかを認識していさえすれば良い。18ページ質問に対する答え方の基本的な心得を以下に挙げる。(1)情報を問う質問には、情報が存在する範囲で答え、その情報を得る方法を教えれば良い。(2)意見を問う質問に関しては、意見を誇張してずばり答えるか、あるいは、その意見を問う理由、意見を一つに絞らなければならない理由、を問い返す。(3)人生相談、あるいは哲学的な質問に関しては、まず定義を問い返す。(4)個人的な質問に関しては、ある面は誇張して答え、ある面はかわす。(5)自分で解決しなければ意味がないことを気づかせる。111ページ才能は持って生まれたものではなく、思い立ったときに、あるいは、やる気があるときに生まれるもので、いつでも消える。自分自身をどれだけコントロールできるかが才能です。132ページ教育するという動詞は存在しないと思う。151ページ学生たちの科学に関する質問は、はっきり言って非常に幼稚である。難関を突破し、工学部に入学した若者がこれか?日本の将来の工業はどうなる?と危惧する向きもあるかもしれない。しかし、それはこの数十年の技術の進歩が早過ぎた証拠だと言っても良い。196ページ資源の枯渇が良く問題になるが、地球上にある物質の総量はほぼ不変だ。従って、枯渇するのはエネルギィ。211ページ生活を苦しくしても、自分で馬鹿だなと思ってもやっているというのが道楽で、それは、つまり贅沢。役に立つ物にお金を使うことは、贅沢でも、道楽でも、余裕でもない。どんな状況でも道楽はできるし、道楽をすれば贅沢になる。211ページやらなくて良いときにやる気がなくなることは一般にはない。つまり、やる気がないときは、たいていやらなくてはならないときだ。214ページ言葉が通じるようになれば、叩く必要はない。叱っても泣かない年齢になったら、叱る意味はない(というより手遅れです)。