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カテゴリ:山の雑想
前回、ボルネオの話が出たので続きです。
世界にはガイドの動向が義務づけられている山がいくつかありますが、比較的有名な山としては、タンザニアのキリマンジャロ、台湾の玉山、そしてボルネオのキナバルなどがあげられます。いずれもハイキング程度の装備と技術で登れる山だけに、ある程度山に登ってきた人にとってはこのガイドを雇うことにに抵抗があります。 ましてや若い人は血気盛んであるとともに、お金はらってまで何でガイド払わねばならんの?という憤りもしきりでございます。 私が初めてキナバルに登ったのも20代の頃で、しかも自分は岩登りに来たのに、許可が取れずにかわりに頂上歩いて往復するという状況だったためにその憤りもひとしおでした。 「見てろガイドにげろはかせてやる!」と息巻いて麓から走って頂上往復して1泊2日かかるコースを6時間で往復してはみたものの、結局はガイドには1日で2日分の日当払い、自分も疲れたし山もあんまり面白くないなんだかあんまりよくない結末でした。 やっぱりガイドってよくないです。ガイドそのものがわるいのではなく、ガイドを雇うかどうか、雇うとしたら誰を雇うか選択できないのがよくない。ましてや第三国での山登りなら、ガイドなしの場合の自然リスクと、どこの馬の骨だかしらんガイドと2人で登ることの人的リスクはどっこいでしょうから・・・ 結局は山は常に自己責任求められるものなんだから、ガイドに頼って登る方はその段階で観光客であって登山者ではないんですよね(-_-) なのでガイド同行必須のくだんの山々は結局は山登りではなく観光であって、そこを登る人々に求められるのは登山の技術でも経験でもなくひたすら「財布の重さ」なのだということに気が付いたしだいです。 つまらない感想でしたm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月04日 00時24分37秒
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