柳家喬太郎独演会を楽しむ
昨日(3月17日)に南日本新聞会館みなみホールで柳家喬太郎独演会が開かれました。喬太郎師匠の鹿児島での独演会は今回で3回目になるのですが、1回目の独演会は2011年2月26日にあり、喬太郎師匠が「たらちね」「蒟蒻問答」「抜け雀」の3席を連続して高座に上がって語るのを大いに楽しんだものですが、去年の3月に開かれた2回目の独演会は仕事の関係で残念ながら聴くことができませんでした。それで久しぶり昨日になって喬太郎師匠の独演会を楽しむことができたのですが、一昨年に聴いたときより健康状態も良く、噺家として油も乗り切っている感じで高座を大いに満喫させてもらいました。 昨日の独演会の開口一番は喬太郎師匠の「まんじゅうこわい」でした。この噺、あまり落語に馴染みの無い人でも知っているお噺ですよね。何も怖いものはないと豪語していた男が、何か一つぐら怖いものがあるだろうと仲間に問い詰められて、「まんじゅう」が怖いと言って寝込んでしまったので、仲間みんなでありとあらゆる種類の饅頭を買い込み、彼の枕元にそっと置いておきます。この男、目を覚ましたときに饅頭の山を見て悲鳴を上げますが、目の前から見えないようにしたらいいとパクパク食べ始めます。これに驚いた仲間が「本当に怖いのはなんだ」と訊きましたら、「このへんでお茶が怖い」と見事に落とすという名作落語です。こんな有名な噺に喬太郎師匠はギャグを散りばめ、さらに「かるかん!! 日本で一番うまい」とご当地銘菓を褒め称える観客サービスも忘れず、観客を最後まで飽きさせることなく笑わせ続けた力量は流石だと思いました。 喬太郎師匠が一席目の「まんじゅうこわい」を終え、トコトコと立って左手にあるめくり(出演者名を書いた紙製の札)をめくると「喬之進」と次の演者名が出てきたので、観客はこのハプニングにちょっと驚いて少しざわつきましたが(今回の独演会の主役ともいうべき喬太郎師匠がめくりをめくるという意外な行為に驚いたのです)、二席目の高座に上がった柳家喬之進さんは喬太郎師匠のことを「兄さん」と呼んでいたように柳家さん喬師匠一門の兄弟弟子の一人のようです。どういう意図かは分かりませんが、こんなハプニングかあったのですから、喬之進さんはこれを上手くマクラに取り入れて笑いに昇華してもらいたかったですね。しかし、喬之進さんのマクラは粗忽者がすれ違った顔見知りの人の名前が出てこず、「なんてお名前でしたっけ」と質問して、「馬鹿野郎!! お前の親父だ」というお決まりの内容から始まり、次に「粗忽の使者」という演目に入っていきました。 喬之進さんの「粗忽の使者」は地武太治部右衛門という名代の粗忽者が、主人の杉平柾目正の使者として赤井御門守の屋敷に口上を届けることになりましたが、赤井家で肝心の口上が思い出せません。尻を強くひねると思い出すことがあるので、赤井家の家人に尻をひねってもらいますが思い出せません。もっと腕に力のある人物はいないかと大騒ぎしていると、赤井家の職人が「ようがす、あっしにおまかせください」というのでやらせてみると、隠し持った和釘抜き(ペンチのような和釘専用の釘抜き。閻魔様ともいった)で思い切り地武太治部右衛門の尻をひねります。あまりの痛さに治部右衛門は「お、思い出した!」。赤井家の家人が「して、お使者の口上は?」と問いますと、治部右衛門「屋敷を出る折、聞かずにまいった…」。 三席目は喬太郎師匠の「花筏」。相撲取りで大関にまでなった人気者の花筏が銚子の花相撲に病気で出られなくなりました。親方は花相撲の興行代金ももらっており、なんとかならないかと考えます。そのとき、知り合いの提灯屋さんに花筏に容貌がそっくりで図体もでっかい人物がおりましたので、彼に銚子に行って一日一両、酒も食事も呑み放題、食べ放題、土俵には上がらなくていいから花筏として顔だけ見せてくれと口説きます。そんな楽な話はないと提灯屋さん、銚子に出かけ、毎日美味しいお酒や食事を大いに満喫しましたの、図体もますますでかくなり、帯の横を両手で叩くとパーンパーンと気持ちのいい音が響きます。うーん、これは噺家として油も乗り切った喬太郎師匠にしかできない素晴らしい特技だと感心。この見るからに血色がよい花筏に銚子の人たちは土地の素人相撲で負け知らずの千鳥が浜大五郎と取り組ませろと騒ぎ出し、両者は土俵の上で取り組むことになりますが、偽物の花筏が千鳥が浜大五郎の顔を張ると大五郎は即座にゴロン。決まり手は張り手。張るのはうまい。提灯屋だから。 仲入り後、高座に上がった喬太郎師匠、いきなり「同じ顔の人物が独りで話しているのを聴き続けるって楽しいですか」と観客に問いかけたので場内は爆笑しましたが、これって独演会を開く噺家の師匠連の本音の不安ではないでしょうか。「同じ顔の人物が独りで話している独演会」で観客がバラエティに富んだ多彩な面白さを味わえないと、会場の雰囲気はすぐにだれてしまうでしょうね。噺家は高座の上でそんな不安といつも戦かっているのですね。 喬太郎師匠は最後の噺は「百川」という田舎方言ネタで笑わせて締めくくりました。江戸日本橋の料亭百川に奉公に入った田舎者の百兵衛さん、いきなり二階に集まった魚河岸の連中の用を聞きに上がることになります。百兵衛さんが自分のことを「オラぁこの主人家(しじんけ)の抱え人でがしてぇ」と言ったのを、集まった魚河岸の連中を仕切っていた初五郎が「四神剣(しじんけん)の掛け合い人」と聞き違えてしまいます。魚河岸の連中は、祭具の四神剣(青竜、朱雀、白虎、玄武の四剣)を質に入れたままにしていたので、隣町から掛け合いに来たのだと早とちりしたのでした。この他、田舎者の百兵衛さんと江戸の魚河岸の威勢のいい江戸っ子たちとのかみ合わない会話を面白おかしく描いたのがこの百川ですが、おそらくは北関東あたりのなまりを笑いの対象にしたこの噺は、鹿児島の人には方言が違いすぎて特に問題はないでしょうが、笑いの対象にされている方言に敏感に反応する人たちもいるかもしれませんね。 ところで立川志らく『志らくの落語二四八席辞事典』(講談社,2005年5月)に「落語にはたくさんの田舎者が登場する。/江戸っ子はこの田舎者を馬鹿にする。粋を信条とする江戸っ子からすると、野暮のかたまりの田舎者が許せない。(中略)田舎者といって馬鹿にしていても、それは地方出身者を馬鹿にしているのではなく、江戸っ子の粋の美学からはずれた、野暮な人間を田舎者と言っているまてである」と解説しています。