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2018年08月12日
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内川雅人くん一家が祖父母の大豆山(まめやま)町に身を寄せていた頃の話です。

玄関に四輪の手押し式木製荷車が置かれていました。まだ幼かった雅人くんに彼の母親が、この荷車を指差しながらいろいろな思い出を語ったものです。

戦後の食糧難の時代、配給制が取られており、遅配や欠配が続き、町の人々は闇市で高額な値段の食糧品や基本的必需品を購入するか、農村部に直接買い出しに行って手に入れる必要がありました。


雅人くんの母親も、故郷の台湾から夫の実家の奈良市に引き揚げたときに持ち帰った嫁入り道具の着物などを荷車に乗せて農村部に買い出しに出掛けたそうです。

雅人くんの母親は、当然持参した着物などを農民たちは高く評価してくれて、沢山の食料品が手に入るものだと思い込んでいました。しかし、彼らは町の人間が食糧難で困っていると足もとを見て僅かな食糧品しか渡してくれませんでした。雅人くんの母はとてもくやしい思いをして、そのことを物心のついたばかりの雅人くんに何度も語ったものです。

この木製の荷車はまた乳母車の役割も果たしてくれました。粗末な木箱をその上に乗せ、幼い雅人くんを入れて、手押しでゴロゴロと舗装されていない道を歩く女性の姿こそが、最初に振動音ともに記憶された雅人くんの母親の姿でした。





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最終更新日  2018年08月12日 14時13分14秒
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