被為
ほとんどの古文書にはルビが付きませんので、どう読むのかいつも困ります。次の資料のような、ルビ付の文書は大変ありがたい存在です。「殿様益御機嫌能被為遊(あそばせられ)御超歳恐悦至極奉存候」(「小笠原諸礼大全」)殿様、益(ますます)御機嫌能(よく)御超歳被為遊(あそばせられ)、恐悦至極奉存候。古文書で「被為~」の文言をよく見かけますが、これをどう読むか、私の苦手なものの一つです。「殿様益御機嫌能被遊」なら「殿様、ますます御機嫌よく被遊(遊ばされ)」と読みますが、「被為遊」となると「遊ばせられ」となっています。「為」は「せ」と読み、使役・尊敬の助動詞「す」の未然形「せ」です。これから「被」=「られ」に続きます。「被為在」は「在らせられ」、「被為成」は「成させられ」となります。少し複雑になると、「被為下置」=「下し置かせられ」、「被為蒙仰」=「仰せを蒙らせられ」、「被為成下」=「成し下せられ」……となるようです。「遊ばされ」(被遊)の「~され」は尊敬の意味ですから、尊敬の助動詞「為」を付けて「遊ばせられ」(被為遊)となると、尊敬が重なります。殿様のことなので、くどい表現を使っているのでしょうが……。【らる】(『角川古語辞典』)(4)尊敬の意を表わす。「給ふ」などにくらべると敬意は低い。「被為~」の文字があると、「~(動詞の未然形)+せられ」と読めば、ほとんどの場合はOKですが、機械的にできないこともあります。「被為寄附」は「寄附為(な)され」と読み、「被為仰付」も「仰付為(な)され」になります。この場合の「為」は使役・尊敬の助動詞「す」ではなく、動詞「為す」で、「寄附」「仰付」の名詞が続きます。「私儀近来腰痛ニて相困り、段々服薬等も仕候得共、兎角快方ニ押移不申、然ル処、摂州有馬入湯可然旨、久地村医師好謙申聞候ニ付、日数五十日之間、他行御赦免被為仰付候様奉願上候、左候ハゞ、留守中村方諸用向之儀は、与頭共へ得斗示談仕置申候間、何卒早々相叶候様、宜被仰上可被下候 寅閏三月 庄屋加右衛門 組合割庄屋直三郎殿」(文政十三年(1830)「横山家文書」)私は近頃腰痛で困っており、服薬等もしていますが効目がありません。そこで摂州有馬の入湯が良かろうと久地村医師好謙が言いますので、日数50日間、他行をお許し仰付なされ候様願い上げます。留守中の村方の諸用向は、与頭共へ指示しておきますので、なにとぞ早々に実現しますよう、「宜被仰上可被下候」。「御米之内、当一ヶ年御貸下ケ被為下候ハヽ難有仕合可奉存候、秋ニ至り候得ハ、毛頭無間違御返納可仕候間」(明治五年(1872)「続波多野家文書」)年貢米の内から、今年一ヶ年だけ御貸し下げ「被為下」とありがたく存じます。秋になると絶対間違いなく御返納いたします。「御貸下ケ被為下候ハヽ」を原則を適用して、「御貸下ケ下せられ候ハヽ」と読むより、「御貸下ケ為し下され候ハヽ」のほうが良いのでは……とまだ迷います。殿様に関すると敬語が重なり、農民の願書には「宜被仰上可被下候」(宜しくお伝え下さい)とへりくだった表現には、読むたびにウンザリします。「小笠原諸礼大全」の読みに誤読がありましたので、「御超歳」の場所を変更して訂正しました。