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「生産物之内、近年奥村々へ琉球芋作植試候処、相応生立、百姓共飯用多足相成候ものと相見候ニ付、追々村々端々へ手広植付可申、尤是迄植不申村方ニては、品柄珍ら敷存作物へさわり候ものも難計相聞、勿論野荒之儀は一統御法度ニ候得共急度示し置可申、自然芋作へさわり掘取候儀有之見当候ハヽ、直ニ取留メ置早速註進可申出候、依之左之通芋作畑所へ札立置可申者也、 〔建札〕此芋作へさわり候もの有之候得は、取留メ置早速御役所へ註進可申出もの也」(文政十三年(1830)『広島県史』) 生産物の内、近年奥の(山間部の)村々へ薩摩芋を試しに植えたところ、それなりに成育し、百姓共の食糧の多足になると思われるので、だんだんと村中へ手広く植付けなさい。もっともこれまで植えていなかった村では、珍しがって作物へ触るかもしれない。いうまでもなく野荒は厳禁であるが、ひょっとして芋を掘り取る者を見つけたら、すぐに捕まえ連絡しなさい。次の札を芋畑に建てておきなさい。 〔建札〕「この芋作へ触る者は捕えて御役所へ連絡する」。 これは、文政十三年(1830)に、広島県の山間部、山県郡御役所の出した触書です。 薩摩から正徳元年(1711)に瀬戸内沿岸(愛媛県大三島)に薩摩芋が伝えられ、安芸国の山間部で試験栽培が行われるまでに、百年以上の時日を要したことになります。もっと早く広まっていれば飢饉の様子も違ったものになったかも知れません。 薩摩芋の栽培は「百姓共の食糧の多足」のためとされています。「不足」はよく目にしますが「多足」は珍しい言葉です。 【多足】たそく。(『広辞苑』) (1)足の数の多いこと。 (2)たしまえ。おぎない。補足。 薩摩芋が農民の食糧の「足し」になれば、年貢米も出しやすいというもの。藩も栽培を奨励するはずです。 私にとって戦中戦後の一時期は、薩摩芋は“食糧の足し”ではなく“命の綱”でした。その頃は、味よりも多収穫の品種が作られており、“高系4号”と言う名前を今でも覚えています。「一生の間に食べる芋の量は決っており、私は子供の頃に予定を終了しているので、もう食べない」という珍説をたてて永年実行していましたが、近頃は食べるようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/04 06:57:15 AM
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