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言葉を“面白狩る”

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2006/11/18
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  「親父がおすきの音楽あけたら、褒美ハ現銀、それに三年四年もかゝつた、棟梁大工ハ加増もごんせん、」
    親父がお好きの音楽を奉納したら、褒美として現銀が下されたのに、造営に三年四年もかかった棟梁大工には加増もない。
     
  「いらさる奢に今更目がさめ、阿部の半左を大坂に登し、思案をさすれとねつから叶ハぬ、松野を町から追出し、米銀なんそと広い御国て八分日雇を、大坂へ登しよう々々、出来た三万五千ハ当座のちりだよ、それにおのれか一人でしたよに、半左に十分あつ灰はねかけ、おのれハ百石、半三ハ御免て、
     放縦な財政支出のために生じた不足を借金でやり過ごそうとした当時の執政関蔵人は、勘定奉行阿部半左衛門を大坂に行かせ、豪商からの借金交渉に当らせた。阿部は「執政の放縦な財政は、大坂の豪商が容易に借金を許すからだ」と考えて募債をせず帰国、「今大坂の金融は閉塞し、誰も貸金を断ります」と報告した。これを知った町奉行松野唯次郎は、「大坂の豪商は金を貸すのが仕事、大名の借金の求めに応じないことがあろうか」と、密かに管下商人一両名を大坂に派遣して調べ、阿部の嘘の執政に密告した。執政は大に怒り、半左衛門の官を罷免(天保八年十二月二十八日)、松野を勘定奉行兼務とした。松野は大坂の豪商と結び、藩債を起したが、その三万五千両はは当座の塵のようなものである。阿部には熱灰をはねかけるようなことをして、自分は百石の加増を受けている。(『広島県史』『芸藩三十三年録』より要約)

阿部半左衛門】天保5(1834)勘定奉行
松野唯次郎】文政三年(1820)町奉行、天保8(1837)勘定奉行
関蔵人】天保4(1833)年寄上座

  ヤレ々々可愛や、コレ々々様とふして下さる、内わの上ケ下ケおいてもくんない、五札をきかせて下され、世上の噂ハ人気のよしあし、こゝらハおまへのかんじん要じや、
    やれやれ、このかわいそうな状況をどうしてくれるのか、関蔵人さんよ。団扇を上げ下げしないで、五種類の銀札が効目のあるようにしてくだされ。世上の噂、人気からみると、ここがお前の肝心要の時だよ。






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最終更新日  2006/11/18 10:10:38 AM



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