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「小田原評議もあいてによりやす、目先の大学、正しき丹波や、ちからハ入らねい、江戸の讃岐ハ築の出見てなら、お国ハいつきに冨貴になりやす、おはらをきわめて一六のりねい、大禄うた恩ハ此時、五札をきかせてやすひ御米を喰して下され、目出度御国ハ繁昌に成ます」 長談義をするのも相手によりけりで、目先の今中大学や、正しい木村丹波や、大橋主税(以上御年寄)などは不要なので辞めさせ、江戸にいる沢讃岐、築山為蔵、黒田斎に藩政を執らせば、お国は一気に豊かになります。ここは関さん、腹を決めて大博奕を打ってみなさい。今まで大禄を貰うた恩を返すのは今ですよ。藩札の価値を元に戻して、安い御米を喰わして下され。そうすれば、御国はめでたく繁昌しますよ。 【小田原評定】(『広辞苑』) 長びいてなかなか決定しない相談。小田原談合。 【今中大学】文政五年(1822)御年寄、文政十三年(1830)藩主斉賢急逝のとき、幼少の世子斉粛を擁立した。天保十二年(1841)関蔵人の隠退により執政となる。 【木村丹波】主膳、文政七年(1824)御年寄。 【大橋主税】天保七年(1836)御年寄。 【沢讃岐】左仲、天保二年(1831)御年寄。 【築山為蔵】大蔵、天保13年(1842)御年寄。 【黒田斎】天保8(1837)町奉行 【一六勝負】(『広辞苑』) 采(さい)の目の一が出るか六が出るかを賭けて勝負を争うこと。ばくち。 「見聞わらひ集」によると、「ちからハ」は「主税ハ」と、「お国ハいつきに」は「お国ハ斎(いつき)ニ」と書かれています。当時の高官で「斎」の名を持つのは「黒田斎」がいますので、それに当ててみました。掛詞が多用されているので、見逃した名前があるかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/19 04:03:56 PM
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