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「 合鑑 一明鴉口 吉川屋 金兵衛 大束五万束叶 是見たか々々 又是見たか々々 木口三人同船 子初会 」 (「はつかいち」) これは、宮島富籤の合鑑の文句だそうです。 予備知識がないので、字は読めても何が書いてあるのか、サッパリ解りません。そこで、少し調べてみました。 「○宮島の富 宮島を神地とし、有象無象に係はらず永く保存の道を立て繁栄限りなかりしは、年々五回(或は四回か再調を要す)同地に開催したる富の会にして、明治維新の頃までは公行せられき。抑々富の会に加入せんには、富元(とみもと)即ち富坐より発行せる縦横一寸許りの四角にして、厚さ三歩許りの木駒(檜にて製る)と、諸口(紙の名)竪半枚の合鑑紙とへ、同一の番号及び口名(例へば高砂口とか田村口とかの五口を開会毎に更に命名せり)を書したるものを備へあれば、加入者は先づ合鑑紙を受取り、之へ吾が思ふ所の文句を随意に書入れて、自身之を持参するか、又は口入(くにふ)といへる一種の仲介人へ託する歟して、一口に就き藩紙幣十匁を添へて富坐へ交付す、合鑑紙をば富坐にて検閲押印せしを受取り返し、会の結了後まで加入者之を保留しおく、彼の木駒へは富坐に於て合鑑紙と同一の文句を記入し、之を巨大なる桶に入れ、富坐晴れの場所即ち公衆の目前に於て、期日来れば小童をして錘もて桶の小穴より木駒を突かしめ、親の十貫目が当るか(慶応の頃は親は百貫目に上れり)、次ぎ親の六貫目が得らるゝか、或は掛金全部を投棄することとなるか、今も昔も同一人情、其開会中は美人を天の一方でなく、欲魂は遙に宮島の富桶を望むのみ。此地の富の会は官営に属し、前陳富坐へ交付する一口十匁の中二十分の一即ち五分を奉行役所に納め、残る九匁五分を以て加入者、当りのものへの分配金となる、尚記すべきことありと雖も、此編の主要にあらざれば之にて止め、此処には只笑種の残話を述ん。文政の頃、藩主は安芸守様と称へ官は少将なり、其御弟に右京公子といふあり、是等よりの思ひ付きか、彼の富の木駒や合鑑紙へ書付けたる悪戯の文句に 箪笥長持、あきのかみ、此富とつて、せうしやう、うきやう となしたる者あり、富は運よく当りたれど、後日の祟りを恐れてか現金受取の人は遂に来らずといふ、折角の好運も自滅せしものなり」(「広島雑多集」) 富坐は木駒と合鑑紙に、同一の番号と口名を書いたものを準備し、加入者は先ず合鑑紙を受け取り、これへ勝手な文句を書入れ、一口で銀札十匁を添へて富坐へ渡すと、富坐ではそれに検閲押印して返すので、会の結了後まで加入者が保管しておく。富坐では木駒に合鑑紙と同一の文句を記入し、当日、巨大な桶に入れて公衆の面前で、子供に錘で桶の小穴から木駒を突かせる。親の当り籤は十貫目(慶応の頃は親は百貫目)、次ぎ親は六貫目を与えられる。 【合鑑】あいかん。(『広辞苑』) 合符(あいふ)に同じ。 【合符】(『広辞苑』) 鉄道で手荷物の預り証のこと。チッキ。合鑑(あいかん)。 【合札】(『広辞苑』) 品物を預かった証拠として引きかえに渡す札。 「合鑑」は預り証のようなものでしょう。 「宮嶋富会札銘有五、一云東雲口、二云明鴉口、三云」(天保十一年(1840)一月十三日「鶴亭日記」) 宮嶋富会の札銘に五つ有り、一に東雲口と云ひ、二に明鴉口と云ひ、三に(記述無し)と云ふ 「鶴亭日記」の筆者、野坂三益は、宮島富籤に興味があったのか、何回も同様の記事を書いています。この合鑑の「東雲口」の銘から、天保十一子年の初会のものであったことが解ります。毎回「銘有五」ですが、ここでは二つしか記入してありません。「東雲」は「明け方に東の空にたなびく雲」、「明鴉」は「夜明けがたに鳴く烏」ですが、「……口」とは何を意味するのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/26 05:58:18 AM
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