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言葉を“面白狩る”

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2006/11/26
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カテゴリ:カテゴリ未分類

「合鑑」の記載の内、最初から書かれていたのは、「合鑑」「一明鴉口」「大束五万束叶」「子初会」の四ヶ所だろうと思います。

大束五万束叶」は「大束(松の割木)五万束の当籤がかなうように……」でしょう。

「厳島社の門前町と内海交通の港町として中世末以来急速に発達した宮島は、藩も町奉行の支配下として重要視し、遠近からの人寄せのために浄瑠璃・歌舞伎・芝居興行等を許し、また三・六・九月の市立てを中心に大束(オオタバ)入札払いの名目で富くじを許可するなど、その保護をはかった。」(『広島県史』)

子初会」は天保十一子年の一月の富会です。

吉川屋金兵衛」は富札を買った者(加入者)の名前で、自筆でしょう。「是見たか々々、又是見たか々々」は、既に当籤したような気持で勝誇っている様子、これが今の籤番号に当ります。「木口三人同船」は見当も付きません。

「広島雑多集」の説明によると、一口銀札十匁、当り籤親(一等か)は銭十貫目、次ぎ親(二等か)は六貫目となっています。ところが、

「宮島ニ富アリ年ニ六回之由、此節ハ其一度ニて既ニ済けれとも、取当(アテ)し者追々行事と見へて、同船ニ三四人あり、我富札ヲ見たり、宮島へ上りて朝飯を給へしニ、宿ニ富を取中し名前張り附てあり、弐朱計りニて札壱枚を売(カヘ)、我同宿へ行し者ハ六七枚持居れり、壱枚当る時ハ、弐両・三両・五両・百両余りもある由、其咄細かに咄し聞せけれとも略ス、宮島ハ是ニて立と云し也、面白からぬ事也」(安政六年(1859)六月、河井継之助の旅日記「塵壷」)
宮島には富籤があり、年に六回開かれるという。今度のはその一つで、既に済んだが、当籤した者が次々と行くものとみえて、同じ船に三四人いた。私も富札を見た。宮島へ上り、朝飯を食べた宿には富をあてた者の名前が張りだしてある。弐朱ばかりで札壱枚を買う。同宿した者は六七枚も持っていた。壱枚当れば、弐両・三両・五両・百両余りもある由、その話を詳しく聞いたが省略、宮島はこの富籤の御蔭で保たれているそうだが、困ったことである。

ここでは、壱枚弐朱で、当りは二~百両となっています。単位が違うので簡単には比べられません。

「広島雑多集」の「箪笥長持、あきのかみ、此富とつて、せうしやう、うきやう」の意味を、「私の箪笥や長持はあきのかみ(空き、安芸守=広島藩八代藩主浅野斉賢)だから、この富を取って、少々(少将)、生きよう(右京=浅野長懋、藩主の弟)」とこじつけました。






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最終更新日  2006/11/26 04:20:34 PM



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