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「ネット上に浮遊させることに。」「だんだん地味になってきました。」
(あとがきより)というアラン・タカピ(本名足立尚彦)氏の第三歌集、『ねばならず』 は少しも地味な内容ではない。 新しく橋がかかってこの町に増えるものあり減るものもあり 平和台線がど真ん中を走る宮崎は淋し過ぎる街なり 小京都の小のほどよき健気さを保ち続けているのもだるい 八月の大淀川の青の濃き淡きにまぎれ我が若さあり 氏は宮崎県在住である。家族や友人といった生活臭を、ほとんど見せない氏の歌のなかで、 川のある町を愛する横顔がかいま見られ、しみじみとなった。 作者と作品との関係うんぬんは置くとして、作者の見える歌というのは立ち止まらされる。 惚けたる母の眠りに秋風のやさしく過ぎる真昼あるべし しかしこれらの歌を取り上げるのは、氏にとっては不本意であるかもしれない。 その色も形も価値もあきらかで模様が思い出せない五円 十年後を夢想しながら納豆の賞味期限の過ぎたるを食う 氏の歌の世界にあるとき、小さな五円玉や賞味期限の切れた納豆は人生となる。 そらいろのそらとはなんじゃいっかいもそらにとことんせまらんでおる 大量の水を抱えてかるがると雲はそれなりに不自由である 氏の視点は、遙かなものもぐいとわしづかみにして引き寄せる。 そして私を短歌に目覚めさせてくれた一首、 あの日君に海の話をしたよ君は君の帽子をかぶって少女だったよ この歌はNHK学園ネット短歌コンクールで、小島ゆかり氏の特選となった。 今その評を引用しようと検索してみたが、URLが見あたらない。残念でもあるが、 それはそれでよいと言われそうである。 短歌をなぜ詠むか、短歌は自分にとって何なのか、とことんせまったことのないわたしは、 どうも嫌らしいことを書いてしまうが、短歌研究新人賞最終選考に残った一連も入っていることを、 付け加える。 濁点を打てばカラスはガラスなり濁りはときに透明を生む 氏の第三歌集『ねばならず』。ひとりでも多くのひとに読まれ、一冊の本となることを願わずには いられなかつた。地味ではありません。 ☆アラン・タカピ氏HP <アラン・タカピの、余剰半。> ☆歌集『ねばならず』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 2, 2006 07:35:23 AM
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