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いやはや、、、
「日々じゃがいも」となっているため、 「じゃがいもさん」からのメッセージが様々届きます。 情報ならまだしも、 先日は、陰陽洞さんへお電話で注文させていただいたときに、 「白菜、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、、、」 と口からすべってしまったようで、 お届けいただいた箱の中に、ちんまりと日頃見かけぬ、まるいお顔たち。 ん~自分では注文したつもりは無いのに、 「にんじん、たまねぎ、、、じゃがいも、、、」と、ごろごろ(じゃがいも)合わせで、 口からでたのね。 陰陽洞さんには、 「間違えがない」のです。 この8年間、ずう~っと。 だから、ぜったい、私の「口がすべった」に他ならないのです。 それから数日後、 初めての豊作の我が家の柿(5個以上実った事が無かった)の 「豊作御礼??祝い」に、ご近所へ少しばかりお届けしたところ、 お返しに、、と、「じゃがいも」をいただきました。 もちろん、 陰陽洞さんのじゃがいもも、いただきもののじゃがいもも、 (「じゃがいも」も、、、と書いていると、 「じゃがいも」と「もも」を掛け合わせた「実」になるみたいですね。 我が家では、桃の木と柿の木がわりと近いので、 「も、、もしかしたら、、、」と、ちょっと思ってしまいますね。) そうそう、どちらのじゃがいもも、 美味しくいただきました。 たっくさん、運動!!!と、海岸をせっせと歩く日々です。 こう思うと、 「なにかについて」「だれかについて」「思う事」は、 「良き」にしろ、「悪しき」にしろ、 「ある一定のエネルギーをそちらに向けている」 というのが、本当にわかります。 だから、 引き寄せちゃうのですね。 私自身としては、これまでの人生で、 「あ~あのようなものは、いやだな~」 と、幼い頃から思った事、 それがすべて今、周りにあります。 エネルギーを送って、引き寄せていたのですね。 側にきてしまえば、 「そんなに悪くもなかった」 とか、 「なにかきっと、その物から、引きつけられるような、 無視できないものがあったから、そのときは嫌だと思ったけれど、 結局、『無視できない』=『自分の中に実はあったから、嫌だと思っていた』」 などで、『無視できない』ものとして、『気持ちが引かれた』 というものだなあ。。と思いました。 ちょっと抽象的で、わかりにくい説明ですね。 そんな話をいつも石川にすると、 だから、「何に対しても、肯定、否定をせずに、ただ、淡々という気持ちで接すると、 自分にもどってこない」 だから、そろそろ、「じゃがいも」は、卒業しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.20 23:38:08
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