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テーマ:今日の出来事(287624)
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1925年、大正14年生まれの母は最近自分の子どもの頃のことや家族の昔話をよくしてくれます。
親は腕のいい大工だったこと。自分は男3人、女5人の8人きょうだいの7番目だったこと。2番目の兄が戦死したこと。17歳で教員養成の学校に入ったこと、などなど。きょうだいが多かったので上の学校に唯一行かせてもらった優秀なお姉さんの話には自慢とともに少し嫉妬も混じっているようです。自分も本当は師範学校に行きたかったのでしょう。 昨日の「虎に翼」を見ていると主人公の母親の、自分は5人きょうだいの4番目だったので女学校に行きたかったけど行かせてもらえなかったというセリフがあり、母の話を思い出しました。昭和初期は産めよ増やせよの時代。たいていの家は多くの子どもを抱えてみな多かれ少なかれ貧乏だったんでしょうね。 今は少なく産み、子ども達の大学進学率は50%超の時代。当時とは大きく様変わりしました。 ただそれが幸せかどうかは分かりません。結婚をすると当然のようにたくさん子どもが生まれ(そのうち一人や二人は亡くなって)、親は子ども達に囲まれ支えられて生きていくのが当たり前の時代。母の話には7人のきょうだいの話題がよく出てきます。7人いるからきょうだいへの思いが7分の1に薄まるのではなく、一人ひとりへの思いが重なって7倍の思い出ができているようです。 2人きょうだいの私より8人きょうだいで4倍思い出がある母がちょっと羨ましくなりました。(ん?自分から見てきょうだいは1人と7人だから思い出は7倍かな?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月06日 07時23分13秒
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