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カテゴリ:事件・事故・天災
評論家、西部邁さんの自殺を手助けした疑いで、2人の知人が逮捕された。
このニュースは、自殺の意味を多くの国民に考えさせたと思う。 西部進氏と言えば学生時代からの転向で有名な評論家だが、 氏の主張に関して私は詳しくは知らないし、 ここで触れたいのは氏の思想についてではないので省略する。 この日国民を考えさせたのは、「自殺幇助は罪か」というテーマだったと思う。 「本人が死にたがっているのだから、協力して何が悪い」という考え方もあるだろうし、 「自殺自体が大いなる罪なのだから、協力するのもまた大罪だ」という論理もあるだろう。 いや、さらに掘り下げれば「自殺は罪なのか」という根源的な問いも湧いてきてしまう。 あくまでも個人的な意見だが、私は自殺は非常に重い罪だと思っている。 理由は簡単で、ありとあらゆる命を食らってそこまで生を続けていながら 自分個人が感じる理由で自らの生存をやめるのは、 奪ってきた数多の命を完全に無駄にする、極めて自分勝手な行為だからだ。 死ぬことを望まない命を食らってまで我々が存在することが許されているのは、 我々に存在するだけの意味があるからである。いや、さらに言えば、 我々は懸命に生きて、自分という存在に意味を持たせなければならないのである。 西部氏は「(人間にとって)本当に幸いなのは死ねること」と言ったようだが、 それは最後まで必死で生きた人間こそが言える言葉なのではないかと思う。 もちろん、氏の思想には、私などと比べたら数千倍・数万倍の価値があるのだろう。 だが、生を全うしなかったことで、残念ながら氏の存在価値は大きく減じられてしまった。 そして逮捕された知人2人も「先生の死生観を尊重して力になりたかった」、 「20年以上お世話になった先生のためにやらなくてはならないと思った」 などと言っているが、本当に西部氏を尊敬しているのならば、 何時間、何日、何ヶ月かけても氏を説得するべきだったのである。 「一人の人間が死ぬということは一つの世界が失われることだ」と私は生徒に教えている。 一つの世界を失う手助けをするなど、到底有識者のやることとは思えない。 やはり、自殺も自殺幇助も、大罪なのだと私は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年04月08日 00時33分42秒
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