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カテゴリ:本・メディア・通信
新潮45が休刊すると聞いて、「はぁ?」と感じた人が多いだろう。
発行部数低迷の下で、 「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになった」 ことを休刊の理由として挙げている。 これはすごい台詞だと思う。 「発行部数が低迷して収入が減り、新潮45にお金をかけられなくなったので 企画も原稿チェックもいい加減にやりました」と言っているのだ。 誠に情けない、呆れた開き直りである。 出版社の矜恃というのはその程度のものなのだろうか。 この報道を知って、フランスのシェルリー・エブド事件を思い出した人が多いだろう。 2015年、誰が見ても下品な風刺画を描いたシェルリー・エブドの本社を イスラム教徒のテロリストが襲撃し、犯人の他に10人の死者を出した事件である。 あの後、出版社は大人しくなるのかと思いきや、再度風刺画を掲載した。 そしてフランス国内では「表現の自由」を主張するデモ行進などが起こった。 うちにホームステイしていたフランス人少女のレナが、 「あのデモはかっこよかった」と言っていたのをよく覚えている。 私は「精神的に傷つけられるイスラム教徒が数多くいても表現の自由は許されるのか。 また、表現の自由よりも、危険な状況に陥らないよう人命を優先すべきではないか」 と彼女と議論したが、彼女は最後まで折れず、 「たとえ犠牲者が出ても表現の自由は守るべき」という考えを曲げなかった。 新潮社の場合はそんな高い次元の話ではない。 もしかしたら、表現の自由などはどうでもいいと思っているのかもしれない。 推測だが、バッシングを機にさらに販売部数が減って赤字になる可能性もあるので、 周りに叩かれたことをこれ幸いと、 「深い反省」に結びつけて休刊の理由にしたような気がする。 これが人気誌で社のドル箱だったとしたら、これほど簡単に休刊しただろうか。 たとえ売れない本であっても、情けない開き直りなどせず、 「読者の方々の厳しい批判は真摯に受け止め、反省すべき点は反省しますが、 このように考える人々もいることを世の中に知ってほしかったのもまた事実です。 そしてそれを開示することこそが、表現の自由なのだと我々は信じます」 などといった、信念を感じさせる強靱な開き直りを見せてほしかった。 さらに今後も、赤字覚悟で正邪の境界線上の企画を続けてほしかった。 つまるところ、新潮社はシャルリー・エブドよりも「ヘタレ」だったのだろう。 資本主義社会の中では利益至上主義はまさしく正義だから、 経済的な損失につながることはできるだけ避けるというのが鉄則だ。 しかしながら、文字の力、ペンの力はそれらを超えたところにあるという幻想を もう少し抱かせてほしかったというのも私の正直な感想である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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