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カテゴリ:當間紀子(子ども幸せ研究所)
こんにちは、當間です。
意外な時間の意外な電車が空いていて、 東京の人口も減り始めていると知りました。 夏休みでみんな出かけているんだなあ。 私も今日の夕方から、お墓参りと法事を兼ねて、 母の実家がある鳥取へ向かいます。 子どもの頃は、夏休みと言えば この海辺の家で過ごしました。 終業式の日の午後に出かけ8月下旬まで。 年子の妹と二人で乗る長距離列車の旅は、 なかなか思い出深いものでした。 わが家で核家族三代目。 初代の祖父母たちは子育て期を都会で過ごし、 終戦後にふるさとに戻りました。 二代目の私の両親や父のきょうだいも、 やはり子育て期を都会で過ごし、 そのまま現在に至っています。 核家族と言っても、実家の支援は手厚く、 家族に何かあれば実家や親戚から 助っ人が参上するという 支え合いが生きていました。 その代わり、盆暮れには必ずふるさとへ帰ります。 江戸時代からずっと今の場所に住んでいる という夫には、帰省できるふるさとの存在が うらやましかったと言います。 けれども、ご近所も親戚だったりする環境は、 若い頃はともかくとして子育て期以降は、 とても心強く感じられるのではないかしら。 祖父母が暮らす海辺での夏休みは、 とても規則正しいものでした。 毎朝6時に起きて、家の掃除をし、 小一時間ほど周囲を散歩ののち朝食。 食事が終わると祖父は仕事場へ行き、 私たち姉妹は水着に着替えて海へ一目散。 お昼前にはお迎えが来るので海から上がり、 祖父母とともに昼食。 一休みしたら、また海に入って昼寝。 これが少し経つと、昼寝がなくなって、 お迎えが来るまで、ずっと海。 お盆の間は、夕食の前にお墓参り。 日中しっかり遊んでいるので、 夜は早々と寝てしまいます。 朝起きたら家の中を清め、食事をとる。 かつては、どの家でも当たり前に行なっていた 朝いちばんの仕事を、 祖父母は一緒に過ごしながら 伝えてくれていたのだということに気付いたのは おとなになってからのことでした。 さて、父が亡くなってから、お盆は鳥取、 年末年始は実家のある関西と、 急にふるさとが増えたような感じになって、 一番むくれているのが娘です。 目の前に海があり、田んぼや畑が広がる 半農半漁の過疎の町は、 都会育ちのお子さまには退屈だったようです。 (初めて行ったとき、まだ下水道が完備されていなくて、 トイレが水洗じゃなかったことが 一番のネックでした。苦笑) もっと早くから連れて行っておけばよかった。 一日中、海に浸かっていた妹と私とでは、 かなり違った子ども時代を過ごさせてしまったなあ。 山陰は冬は豪雪で寒く、夏は酷暑。 特に夏は、朝晩こそ涼しいのに、 日中はその日の日本の最高気温を争うくらいに暑い。 昔はそこまで暑くなかったので、 温暖化を肌で感じる旅でもあります。 おまけに古い日本家屋なので、 エアコンが簡単に取り付けられなくて、暑いんです。 普段は誰も暮らしていない家なので、 今さら大掛かりなエアコン工事なんてもったいない。 風通しはよいのですが、凪が来るともうダメ。 だから、ついドライブに出かけてしまいます。 夕方、涼しくなった頃に、犬も一緒に 海岸沿いの道を歩いてお墓に向かいます。 西日本最大の自然発生墓地で、 日本海に向かった傾斜地にあります。 各家のお墓の灯籠に火がともされ、 何百という灯籠の火が揺れるさまは、 それはそれはきれいです。 実は、この風景を娘に見せたくて、 一家総出で出かけるのですが、 にわか仕立てのお墓参りだけに、 なかなかご本人には伝わらないようですね。 (墓地が怖いらしい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 13, 2008 02:50:07 PM
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