野村少年の生態
コロナでしばらく停止してた地元の同級生との忘年会、年明け手からの新年会を数年ぶりに参加してましてね。そこでガキの頃の話とか思い出話をする中で、自分の少年時代って飲み会のネタで鉄板で出てくる話題もあり、大人になって当時の自分を見ると「現代っ子はやっぱオレらの時より確実に賢いよな」と痛感しますな。体の丈夫さでは現代っ子に負けないが、積んでるCPUの性能では32ビットCPUとPentium4くらいの差がある。〇 野村少年、地動説を知る小学生の頃、近所にジュンジ君という秀才がいた。ジュンジは親父が某農業系大学の教授で研究者で母親も某国立女子大…っても国立の女子大って時点で限られるが(笑)自宅には当時珍しいパソコンがあり、庭にはビニールハウスにサボテンがいっぱい。親父さんが使ってるであろう小さなプレハブみたいな研究室みたいな怪しい建造物があるミステリアスな家だった。オレらが遊びに行くと親父さんが庭で焼き芋とか焼いてくれるんで、ほとんどイモ食いに行ってたみたいなところがある。中卒だったオレの親父は生きる知恵と渡世術と手先の器用さで尊敬の対象だったが、ジュンジの親父さんは学者なのでフツーに頭が良くて、俺はイモ食いながら色んなことを聞いてた。8歳の俺「地球が動いてるって嘘だよ。1日一周してたら何百キロで動かないとダメじゃん」ジュンジパパ「野村君と同じ速度で走れる子が隣を走ってたら、その子は野村君からは止まって見えないかい?」俺「たしかに。でもそしたら僕がボールを空に投げたら置いていかれない?」ジュンジパパ「野村君は電車の中でジャンプしたことある?飛んだところと同じ所に降りるでしょ?」俺「わかるようなわからないような」ジュンジパパ「地球を大きな車の中だとしたら、中にいる人は動いてるの気付かないんだよ。外の景色が動いてるように見えるんだ」8歳児に分かりやすいように色々なものを省略して感覚で分かりやすく教えてくれたので、こんな親父に育てられたジュンジが学校で秀才なのはさもありなん、である。〇野村少年、ウサギ小屋軟禁小学低学年の頃、休み時間に教室のベランダの手摺からぶら下がって懸垂をやるという遊びが流行った。まぁ懸垂というよりは手摺からぶら下がって遊んでるだけだけど、今の時代の保護者が見たら卒倒しそうな危険な遊びではあるが脳ミソがサル並の子供が行動までサルになるのも不思議からぬことである。そんな中、調子に乗ったオレは校舎の2階から手を滑らせて落下。幸い、すぐ下は学校で飼育してたウサギ小屋があって、そこの屋根は薄っぺらいトタン板みたいなのと網が張ってあるような、ほったて小屋レベルだったんで、そこを足で踏み抜いた形で止まる。足抜こうとするとカエシが利いてて痛いので野村少年は逆転の発想で、その屋根をベリベリと引き剝がしウサギ小屋の中に落ちる。動転して走り回るウサギたち。そして施錠されたウサギ小屋で救助を待つオレ。集まる野次馬。その後、ベランダに出るのは禁止になった。〇野村少年。ネジに目覚める小学校の下校途中に小さな工場があった。ボルトとかナットとかバネとかを作ってる工場で「〇〇スプリング」という看板が出てた。通り沿いに小さなコンテナ箱みたいなのが置いてあり、その中にはピカピカのボルトとかナットとかバネとかがギッシリ入ってて、そのコンテナ箱を下校中にオジサンたちが見てない時に抱え上げて「宝箱ゲット!」とかやってた。中身は銀貨ではなく銀色のボルトとナットだけど。男子というのは時に、よくわからないモノに収集癖とか興味を抱く生き物で、オレも何故かピカピカのボルトとかナットに妙に興味を持って下校中にときどきジーっと眺めて触って回して見たりしてたら、従業員のオジサンが「欲しいのか?じゃあ少しやるよ」と、そのコンテナ箱の中からワシャっとネジとかナットを掴んでオレにくれて、それをポケットに突っ込んで帰宅。親父の工具箱からスパナを取り出し、とりあえず回して絞めてみたり繋げてみたりして意味の分からない遊びを始める。今俺がこんな仕事してるのは、もしかすると天性だったのかもしれない。〇通学班の内乱騒動オレが小学生の頃って朝の登校は近所の1年生から6年生までの子供たちが数人で班を作って集団で学校まで歩いていくスタイルだった。今もそうなんかな?集合場所はなぜか俺の家の前なんだけど、それには理由があって、要するに2歳上の俺の兄貴が遅刻魔なので皆が自然とオレの家の前に迎えに来てそうなってしまう。ただ、下校の時は学年で帰る時間が違ったりするので1年生は1年生だけで班を作り、2年生は2年生だけ…みたいな編成で集団下校スタイルだった。問題はその下校班で、同学年でオレ含めて5人だった。黄色い帽子被ってた記憶あるんで一年生の頃か。メンバーは男子はオレ、ジュンヤ。女子はりっちゃん、アキちゃん、ヨーコの5人。この中で、オレ以外の4人は幼稚園から同じでオレだけはオカンがパートしてたのもあり保育園上がりだったんで、要するに1年生の頃は全員初対面みたいな関係。当然それまでの交友関係や関係性は0。小学校行き初めて気付いたのは、りっちゃんは物静かで地味な子だったせいなのか幼稚園時代からの関係性からなのか、下校中にジュンヤとかヨーコが事あるごとにイジメるんだな。イジメというか、例えばジュンヤが道端のカマキリを捕まえて、りっちゃんに投げつけたり、ヨーコが悪ノリして後ろからコッソリとランドセルの隙間からドングリ入れたりとか、そういうこまかいイジリが横行してた。んで、コレみんなオレ世代の子はよくやったと思うんだけど、帰りにジャンケンで負けたやつが全員のランドセルを持って一定区画(例えば次の電柱までとか)を運ぶみたいな罰ゲーム。まぁオレは当時から背もデカくて力もあったんで5人分くらい余裕だったけど、女子は結構きつい。とはいえ余興の一環なんで最初はオレも面白くて参加してた。あるとき、ジャンケンでりっちゃんが負けて「雑木林を抜けた駐車場まで」を全員分運ぶことになった。そこで、オレ以外の3人がランドセルをりっちゃんに持たせると事前に示し合わせてたのか「先に行って待ってるわー」と一目散に走って先に行ってしまった。これはその場に一緒にいて、1人がヒイコラ言いながら運んでるのを周りで「がんばれー」「余裕だよこんなの」とか言いながら手ぶらで眺めるのが楽しい余興なのに、置いてったら何が面白いんだ?と子供ながらに思ってたオレ。残ったのがオレとりっちゃんだけなので、はたから見た絵ヅラとしては「デカい男子が女の子に荷物持たせてる」みたいに見えるし、オレも内心「なんだアイツら」と思ったんで、りっちゃんに「俺持つよ。どうせあいつら見てないし角曲がる所まで俺持っててもバレねーし」と二人で歩いてった。曲がり角曲がって、駐車場見えてくる所で交代したけど、いざ駐車場来たら誰もいない。俺「あれ?ジュンヤとかどこ行ったんだろ」りっちゃん「…帰っちゃったのかな?」なんとなく普段から扱いが雑なりっちゃん相手だからオレも察した。ようするにゴールまで運ばせようという魂胆だろうと。これはもう余興じゃなく明確なイジメだ。オレも急に腹が立ってきたんで何かやり返さないと気が済まない。ちなみに下校路の途中にはオレの母方の祖父母の家があった。普段は下校班は解散場所まで一緒に帰らないとダメなので途中でオレだけ婆ちゃんの家に寄ったりはできない。でも、その日は土曜日で午前中だけで学校は終わりだから給食も出ないし下校班も3人は先に行っちゃって実質的に解散状態だしオレも腹は立つし腹は減ってるしだったんで提案。俺「りっちゃんオレの婆ちゃんち行こうよ」りっちゃん「え?でもランドセルどうすんの」俺「あいつらが悪いんだから届ける必要ないし」と、全員分のランドセルを持ったまま婆ちゃんの家に寄る。孫がいきなり女の子連れてきてたまげた婆ちゃん。ちょうど昼飯時でうどん煮てたとかで、オレとりっちゃんと4人でうどんとか煎餅とか焼き団子とか山ほど食った後に、家の縁側に5個のランドセルほったらかしたままオセロとかやってた(笑)そして問題は当然起きる。本来なら昼過ぎには帰ってくるはずの自分の娘が3時過ぎても4時過ぎても帰ってこないので、りっちゃんの母親が学校に電話。ちなみにオレのオカンやオヤジはオレが寄り道したり時間に帰ってこないなんてのは日常茶飯事過ぎて気にもしてないというか「晩飯には腹減って帰ってくるだろ」みたいな放任家庭なんだが、とても買い食いや寄り道なんかは縁のない育ちの良いりっちゃんはそうじゃない。そして学校から下校班の子達の保護者に連絡がいき、オレの母親にも電話が来てオカンは「あ、多分お婆ちゃんの所じゃないか?」と予想して婆ちゃんの家に電話。ちなみに後から知ったのが、先に行った3人は本来待つべき駐車場の更にずっと先で隠れてオレらが来るのを待ってたらしいが、待てど暮らせどオレらが来ないんで、探しに戻ったけど見つからずに家に手ぶらで帰ったらしい。んで、普段からイジメの主犯だったジュンヤとヨーコとは違い、アキちゃんは気乗りしないけど仲間はずれが嫌で流されてるようなところがあって、良心が咎めたのか自分の母親に泣きながら事情を話したらしく、他の二人の親も子供が手ぶらで帰ってきたんで一体何事だと互いの保護者同士で電話で大体の事情を把握したようで、りっちゃんの母親とは別に同時進行でちょっとした騒ぎになってたらしい。そこに学校からそれぞれの親に電話が来て「野村とりっちゃんだけ帰って来てない」という状況を把握し、ウチのオカンだけは何となくオレの居場所に見当ついてたのか婆ちゃんの家に電話が来たと。で、どういうやりとりがあったのかは予想だけど、アキちゃんのカミングアウトで「みんなで荷物持たせて置き去りにした」という事実を知った3人の母親からウチのオカンに電話で謝罪があったらしいんで、多分りっちゃんの母親の所にも同じ電話は行ったんだろう。んで、オレとりっちゃんが縁側で団子食いながらオセロやってる所へ、車持ってるオレのオカンとジュンヤの母親が、それぞれの親と子供3人全員連れてゾロゾロやってきて、ジュンヤの母親は一言で言えばジャイアンの母ちゃんタイプなんでジュンヤの頭ひっぱたきながらりっちゃんに謝ってるし、アキちゃんは泣いてるしオレのオカンは「よその子を連れまわすんじゃない!」となぜか俺怒られてるし、それぞれの母ちゃん同士がそれぞれ謝り倒してる中で、なぜか俺もオカンから「お前も謝りなさい」とりっちゃんの母親にゴメンナサイさせられたりしてたけど、りっちゃんの弁護もあって俺は許されてたな。庭先でそんな井戸端会議みたいになってる中で平然と薪で風呂沸かしてた婆ちゃんのメンタルが今思うとバグってるけど。ちょっとした反乱が思わぬ大騒動に発展したけど、今だったら保護者同士で揉めそうな事件だ。でもそれ以降、近所の子供会とか祭りとかの時に、りっちゃんの母親からは結構よくしてもらってたんだよな。通学班でのイジメも無くなったし、それまでりっちゃんをイジってたヨーコも少し変わって女子3人は仲良くなったし。かわりにオレとジュンヤが時々ケンカ始めたりという紛争は始まったけど、まぁ男子のケンカなんてのは流行り風邪というか、猫がじゃれ合ってるみたいなもんだから女子同士のイジメに比べたら大した問題じゃないし。そんなジュンヤも今じゃ某有名ホテルの料理人だからな。この前の忘年会で来ててその時の話になって思い出したけど。「お前がキレてリツコ連れて行方不明になったことあったよな」俺「いや、人を誘拐犯みたいに言うな。オレは置いて行かれた側だぞ」「あれでコイツ怒らせたらヤバい奴という認識に全員なったもん」その割にはその後もしょっちゅう殴り合ってた気はするけど。でも子供のケンカは一日で何事も無かったかのように仲直りするからな、あのコミュ力を大人は見習うべきだわ。〇ガキの頃のスターは実は千代の富士爺さんが大の相撲好きでさ。農家だから朝は早くて、代わりに夕方にはもう家で熱燗つけながら婆ちゃんの着けたお新香をつまみにお大相撲観てるんだよ。で、俺は小学校上がるまでは爺さんの家の向かいに住んでたし、爺さんの家は居心地よかったから入り浸ってた。夕飯の時間になると母親が迎えに来るんだけど、それまで爺さんとずっと相撲見てたな。その爺ちゃんが千代の富士の大ファンで、その影響もあってガキの頃のオレの中で「最強=千代の富士」だった。当時はプロレス中継もゴールデンでやってたんで、学校だとみんなはアントニオ猪木が最強だとかプロレスラーの人気が高かったんだけど、オレの中では千代の富士だった。まぁプロレスも好きだったけど、俺は猪木よりタイガージェットシンとかロードウォリアーズとかヒールの方が好きだったし。何故か千代の富士が引退したら相撲に興味無くなっちゃったな。高校時代は完全にプロレスだった。駅降りて高校まで歩いてく途中でコンビニ寄って週刊プロレスとヤングマシンを買うという、まさに格闘技とバイクに関心を持つ健全な高校生だった。中学の同級生に父親がボクシングジムやってて自身もプロボクサー目指してる奴がいて、そいつに「お前ボクシングやれば?」と誘われたことがある。「ノムさん身長いくつだっけ?」俺「184㎝」「体重何キロ?」俺「75~76くらいかな。これだとスーパーミドルとかライトヘビーだからなぁ」「いや、今それならトレーニングと減量したらウェルターかミドルまで1か月で落ちるから」俺「いや、裸眼視力0.2以下だからプロテストがまず受からねーよ」当時もし今の体重だったらボクサーどころかレスラーだろうし、逆にもう30~40キロ増やして相撲目指す方が良いとか言われそうだけど、当時のオレはバレー部で絞れてた(笑)ただ、格闘技は好きだけど、どちらかというと今の総合格闘技とかライジンだとかには興味薄くて、なんていうか当時からボクシングとか柔道とか、パワーより技術を競う格闘技に興味あったんだよな。プロレス好きだったけど、当時のオレの推しはサブミッションマスターの藤原喜明だったし(笑)でも、今もし俺が10代に戻って何か一つやれと言われたら、選ぶのは格闘技じゃなく武道である剣道だと思う。剣道って番狂わせが無いでしょ?強い人が必ずと言っていいほど勝つし。いや、中学の時に好きだった女の子が剣道部の子でさ。普段は雰囲気も柔らかで物静かで大人しい感じの子なのに、体育館でバレー部で練習してると隣で剣道部が練習してる時あって、その時は豹変するそのギャップにやられてたな。どこからそんな声出てんの?みたいな。隣でやってるからたまに部活中に余興でふざけて竹刀持って、一度その子と対峙した事あるんだよ。もちろんオレは防具付けてないから打っては来ないんだけど。向かい合った瞬間にちょっと動けなかったけど、あれは良い経験だ。160㎝もない小さな女子に180超えた男子が向かい合って、ビビってんだから不思議な世界ですよ。互いに余興だからあんなんだけど、あれ本気だったら一方的に撲殺されてるやつだ。多分、街中で素人の女性が木刀持ってても、そこまで恐怖は感じないと思うんでアレは武道家の持つオーラなんだろう。少なくとも俺から打ち込んで当たる気は全くしなかったな。ちなみに多分、大昔の記事で書いたことある気もするんだけど、中学の時にウチの中学の一部不良生徒たちが近隣の中学の不良と揉めてた時期があって、近隣中学の連中が部活中に殴りこんで来たり卒業式に乱入してくるという、今の時代じゃなかなか聞かない事件もあったんだけど、その時に近隣中学の不良が何を狂ったのか剣道部が部活中の体育館に放課後に殴りこんできた事があった。3~4人いたと思うけど。その時、防具の上から殴られた剣道部の男子部員は次の瞬間に竹刀で思いっきり一撃を入れて反撃し、返す刀で近くにいたもう一人の腹を竹刀で思い切り片手突きで吹き飛ばして、それを機に周囲の剣道部員がそいつらを袋叩きにしてたんだが、俺は隣のコートでそれ見て「あいつら怒らせたらやべーな」と。何だあの左片手突きは、お前は斎藤一かなんかなのかと。後から聞いたら剣道部怒った理由の第一声が「土足で入るとかふざけんな」だったのは「いや、そっちか」と。まぁ、彼ら裸足だからな。ちなみにその袈裟斬り&片手突きで一瞬で2人倒したその男、今は埼玉県警におります。てっきり機動隊とかSATにでもいるのかと思って忘年会で近況聞いたら、毎日ひたすら外国人絡みの詐欺の対応とかに追われてるとか。数年ぶりに古い仲間に会って古い話をしてて色々思い出すと同時に年月の経過を痛感しましたな。コロナで会ってない期間中にオレがバイク屋開業してたことに驚いたやつもいたようで、普段から連絡してるやつは知ってたけど、基本こういう忘年会とか同窓会にしか来ない連中もいるからね。オレがバイク屋で働いてた事すら知らなかった奴もいて「中学の頃からバイクなんか好きだったっけ?」みたいに聞かれたり。まぁ興味は高校からだから知らんのも無理はない。「ノムさんがバイク屋か。まぁイメージになかったな」俺「何やればイメージ通りだったん?」「んー、なんか山奥で刀鍛冶とかやってて不思議じゃない。もしくはヒグマ撃つマタギとか」俺「なんで武器を持たせようとするんだよ。人里で暮らさせてくれ」まぁ子供の頃に描いてた将来像の大人になれてるか?と言われると、思い通りに生きて来れたやつなんか少ないだろう。とりあえず久しぶりに昔話をしてなかなか楽しい時間でした。