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カテゴリ:生き方
動かなくては、何も変わりません。 まず、動いてみようではありませんか。 私の業界もとても厳しい状況で、出来ない理由ばかりが出てきてしまいます。 とても元気がでる講演会に中村氏のものがあります。出来ない理由ばかりが頭を支配しそうになったときには、きまって営業者車でお得意先につく間に聞いているcdです。 中村文昭氏のプロフィール 18歳の時、家出同然で単身上京、職務質問を受けた警官が友人第1号。弟のように可愛がられ、仕事・食事の世話をしてもらう内に常連となった焼き鳥屋で人生の進路に影響を受ける師匠に出会う。 講演会の内容を思い出しながら整理してみました。 私は八百屋の行商から始めて飲食店を展開していきました。田端さんという師匠に出会って人生が変わりました。 東京での執行が終わると三重県に帰って、7坪の物件を見つけて飲食店を始めました。それから更に大きなレストランを作っていきました。 田端さんからよい言われたことは「人間力を付けろ」というものでした。東京の執行時代の仲間の中には、少年院上がりの人も居ました。少年院あがりの仲間は半分人生をあきらめていました。 田端さんは「お前は普通の人に出来ない経験をしているのだから、それを生かさんか。やってしまったことは変えられん。それを言い訳にして生きるのか。ネタにして生きるのかが問題だ。言い訳ばかりして生きていては何もかわらんだろが」と言っていました。 行商している初めのころは給料なんてもらえませんでした。朝300円くれて「1日をこれでしのげ」って言われていました。 ある日「今月から給料を渡すと」田端さんが自慢げに話しました。仲間は「5万くらいもらえるのかな」「高望みしたらいかん3万くらいだろう」このようなレベルでした。 いざ給料袋をもらうと千円札?と思えるくらいの厚さでした。中身を確認しましたが1万円札で20枚。皆、目を白黒させながら「本当に貰っていいのですか?」っと田端さんに尋ねました。 田端さんは「今月からお前の給料は20万だ。だけどね、この金はお前たちの自由にはつかわせんばい」といい始めました。普通、給料の使い方は貰った人の自由ですが、田端さんは違っていました。 田端さんは「貰うた給料を何のために使うのかという出口が一番大切だ。お前たちが物を買っても他人との比較の為の金の使い方ということになる。自己満足に金を使うな。体験に投資しろ」というのです。「色々なお客さんと出会う。お客さんへインパクトを与えられる人となるために金を使え」というのです。 寿司屋での経験 あるとき何度も回転寿司を食べに行ったのが田端さんにばれました。「空腹を満たすために回転寿司に何度も行くのであれば、どんぶりで茶漬けを食べて。その金を貯金しろ。何十回いってもお前たちの勉強にはならん。そして日本で一番高い寿司屋に行け」と言うのです。「日本一高い寿司屋のやっている事を見ろ・その思いを聞かんか」というのです。 言われたとおり貯金させられて、お金が貯まって言われた寿司屋に行きました。その頃は服を買わせてもらえなかったので、ボロボロの身なりのまま暖簾をくぐりました。店に入った瞬間に私の事をなめるように見てたのがわかりました。仲居さんに、回らない寿司屋に来たことは初めてなのでやってはいけないことがあったら教えてくれるように頼みました。 大将がボロボロの服を着て、先に穴の開いた靴を履いた私を見て「兄さん言にいくのだけど大丈夫かい」と聞くのです。 私は「八百屋の行商から飲食店をやってて、師匠から上を目指せと言われています。回転寿司食べに行ったら怒られて、日本一高い寿司を食べて来いと言われました。その大将が握る寿司には意味があると言われて、体験に投資してこいといわれて来ました。それから一生懸命貯金して25万もって来ました。これで足りなさそうになったら、ストップかけてください。」と言いました。 暫くすると、金持ちそうなおじさんが、頭のわるそうな女の子を連れてきました。その女の子は刺身を引いている大将の頭の上から「コーラくださいと」言いました。私でさえコーラはないなって思いました。 大将は15秒ほど無視していて「今入ったお客さんが、お帰りだから、出口案内して」と言ったのです。私はその瞬間に凍り付きました。大将が我慢しながら吐いた目一杯のせりふだったようです。 他のお客さんは「この大将は不器用だから、こんな形でしか暖簾を守れない。だけどほれるね」って皆が言うのです。我侭に振舞っていいということではありませんが、商売をしていく上での思いと、高いレベルになると客のほうから、周波数を合わせに来る事を学びました。あれから、どんな高い寿司屋にいっても、あそこと比べるとという物差しが私の中に出来上がったのです。 コンサート 尾崎豊が大好きで、コンサートに続けて行ったのが、田端さんにばれました。 田端さんは「尾崎豊に行く時間と金と時間があれば、なんで一回は北島三郎にいかんか」というのです。仕事を通じて音楽の話しでお客さんと周波数を合わせるために、体験に投資しろと言うのです。それからはジャズ・クラック・歌舞伎・寄席・オペラにも行かされました。 あるとき60代の和服の女性が来られました。いつも和服を着ていらっしゃるのですか?と聞きました。女性は「今日は特別、歌舞伎帰りなの」と言うのです。歌舞伎良いですね。というと若いお兄ちゃんが知っているはずがない、調子あわせは止めてという顔をしました。私は「少し前に歌舞伎座に行き。市川 左団次さんが出ていました。日本の文化に触れようと思ったのですが、一生懸命勉強したのですが、いまひとつわかりませんでした。いつか詳しい方から、歌舞伎の楽しみ方を詳しい方から聞きたいと思っていたのです」と言いました。その女性は上機嫌になり、その後たくさんの歌舞伎のお話して頂き、たくさんお酒を飲まれたのです。「あんたとは話しが合うからと言って又クルね」と言って帰られました。10日くらいして、本当にたくさんのお友達を連れてこられました。 商売繁盛のコツは同じ人が何回も来るほどの、人間力を私が出せるかということです。 人と人とは無数に出会っています。その瞬間に貴方から買いたいと思っていただける人間力を開発しなければなりません。 高級ホテルでの経験 1泊28万円のホテルに泊まりに行った事があります。その時はチェックインの時から違っていました。紹介がないと泊まれないホテルですが、名前・住所を書くことはありませんでした。初めからご紹介の中村様でございますね。チェックインの代わりに、どのようなお手伝いが出来るかをお話いただくために、ジェネラルマネージャルームに通されて紅茶を出されました。 「私の予測を上回る一流を味わうために来たことを伝えました」支配人はプレッシャーですね。といいながらも余裕の顔をしているのです。 支配人から部屋に案内され、お酒が好きかときかれましたので、はいと答えました。ウエルカムドリンクを出してもらえることになりました。 私のイメージは・ワインのハーフボトルとおつまみがクルと思っていたのですが、チイャイムが鳴ると、たくさんの人が部屋に入ってきました。テーブル・イス・サイドテーブル・花・花瓶と、次から次へ人が入ってくるのです。バルコニーにその場でセットされて、ドンペリが出てきました。フルーツの盛り合わせが作られる間に、シルバーの皿に苺が出てきました。 ウエルカムドリンクにドンペリかいなっと度肝を抜かれていると、支配人が「中村様とお話していてプリティウーマンのリチャードギャーの顔が思い浮かびました。銀座の町が昼間から夜に変わる間に、人の心も時間と共に様変わりをしていくのを、おつまみに時を過ごして頂こうと思いまして」私はリチャードギャーの言葉で撃沈しました。 それからも帰るまでの間は、予測を上回れることの連続でした。チョット出かけます言うと、来た車はロールスロイスという風でした。 今でもあの支配人だったら、どうサプライズを考えるかと顔が思い浮かびます。色々な物差しが出来ていきました。 給料はこのように使わされていたので、いざ独立しようとしたときに金がありませんでした。 田端さんは「金がないことを出来ん事の理由にするな。金がないなら借りればいい。そのためのアクションをなにも起こしていない。人に尋ねてもいない」と怒られました。 田端さんから言われていた掟があります。 1 返事は02秒 素直な気持ちで損得考えずに返事をしろといわれました 2 頼まれ事は試され事 予測を超える事を返す 3 出来ない理由を言うな 多くの人は出来ない理由を言って、体が動いていない人ばかりだ。出来ない理由を言うと田端さんから馬乗りで殴られました。 4 今出来ることを探してでもやれ 過去を適当に過ごしていたやつは、現在に満足が出来ない。今を精一杯積み重ねて未来を手に入れと言われました。 仕事はお客さんの予測を、上回る感動を与えることだ。 金が借りれる 実家に帰り、田端さんから教わったことを説明しました。勿論、親父に大反対されましたが、私は人に喜びを与えるために仕事をする。儲けた金は人との比較の為に使うのではない。自分の贅沢の為に使うのではない。だから最初の一歩の為に、この家を担保にしてくれと土下座をしました。 父親は涙を流しながら「親がおらんでも子は育つのだな」と言って、銀行に一緒に行ってくれました。支店長に「馬鹿な親やと思うとは思うけど、こいつに商売させてやりたい」と言ってくれました。それで850万円の金を借りて、一人で小さな飲食店を始めたのです。 開店 東京でやっていた通りの事をすると、連日多くの方に来て頂けました。開店から閉店まで何時も満員でした。一生懸命に働いて、親父から借りた850万円の金は僅か7ヶ月で返済できたのです。 ここで逆境に立ったときに、頑張れる方法を紹介します。 全てはネタ作りのためだと思うのです。 所謂Mの感覚です。最初からネタを作ろうと思って活動してみてください。どんなにつらいこと、成果が中々上がらない事も耐えられるようになります。 そして不可能と思えるところから作り上げられた背中を、自分の子供に見せたい。あの人のDNAが流れているから自分も出来ると、思ってもらいたいと思っています。 動かなくては、何も変わりません。まず、動いてみようではありませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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