カテゴリ:学一般
(3)国家論はどのように発展してきたのか
今回は加納哲邦先生の国家論論文を取り上げる。この論文では、国家論の歴史の主要な流れが概観され、最後に国家の概念規定が示される。 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次はなく、本文に項番のみ振られているため、その項番に私なりにタイトルを付して目次とした。 加納哲邦 本論文では、ヘーゲル『歴史哲学』における国家の記述の意味を問うた前回の内容が確認された後、再度ヘーゲルから滝村氏への国家論の流れが概観されていく。ヘーゲルについては、『法の哲学』における国家の規定が引用され、それをヘーゲルの学問体系から解き、唯物論的な言葉で説きなおされている。ただし、この概念規定はあくまでも法としての国家の実体を説いたものであって、国家論として説いたものではないことが確認される。次にマルクス・エンゲルスであるが、彼らは一切の社会的変化と政治的変革の究極の原因を経済のうちに求め、ヘーゲルが「具体的自由の現実性」として説いた国家を、「被抑圧階級を抑制し搾取するための手段」と位置づけ、生産手段を社会全体のものにする労働者階級の革命によって死滅するものだとしたとされる。この学説を受け継いだレーニンについては、自らの経験や立場に規定されて、国家を暴力機関と捉えたこと、これは国家の一機能にすぎないもの一般化してしまっていることが説かれる。この国家暴力機関説に対して、「国家意志説」が次に取り上げられる。三浦つとむはエンゲルスの記述をふまえて、国家は国家意志を介してでないと行動できない、国家意志こそが国家そのものであると主張したと説かれる。そして、この「国家意志説」に対して、滝村氏が国家Macht説を構築したとして、その中身が説かれていく。滝村氏は国家を国家(〈広義の国家〉)と国家権力(〈狭義の国家〉)にしっかりと区分けし、その統一こそが国家であるとしたことが述べられる。しかし、学問的見地からは、国家の概念規定は唯1つでなければならないとして、最後に著者の国家の概念規定である「国家は社会の実存形態である。」が示される。 本論文においても、まず取り上げなければならないことは、『学城』第3号全体を貫くテーマとして設定した「論理能力の生成発展」ということに関わっての問題である。前回、近藤論文を取り上げて、「論理能力」を養っていくためには具体的にどのような研鑽を行っていくべきかとして、「ヘーゲルやマルクス、さらにはクノーやレーニン、三浦つとむや滝村隆一の国家学説に関して、歴史的=論理的な発展過程を自らの一身において繰り返す」必要があることを説いた。本論文において加納先生は、まさにこの研鑽を実地に積んでこられたことを証明しておられるのである。 ここでもう少し突っ込んで、国家学説の流れを歴史的=論理的に一身に繰り返すことの意味を整理しておこう。どのような学問の発展過程であれ、人類はそれまでの学説を充分に検討し、論理的な弱点を克服して、新たな学説を打ち立てる流れを辿ってきている。その原点に立ち返れば、そもそも古代ギリシャにおいて、外的世界の対象の反映たる像から徐々に論理的な像へと頭脳活動が発展していったのである。つまり、直接反映した像から自らが創造した像へ、それも外的世界の対象のあり方から相対的に独立した論理的な像の形成へと、認識の実力を向上させていったのである。 こうした人類の系統発生における認識の発展、学説の進歩は、論理能力を創出し発展させてきた過程と直接の関係にある。つまり、外的世界の対象とする事物・事象の共通性を一般性としてどれ程に把握し得るかという実力こそ、学問の発展の大本であり論理能力そのものなのである。人類は、論理能力を創出し発展させていく過程を通じて、諸々の学問における学説を徐々に徐々に発展させてきたのである。 こうした認識の発展過程については、学問の創出を志す個々の人間の個体発生においても必要不可欠である。逆にいえば、個体発生は系統発生を論理的に繰り返すことによってこそ、学問の創出が可能な頭脳活動を手に入れることができるのである。だからこそ、どのような学問を志すにしても、その発展過程について、大きな流れとして(時には後退する場面もあるがそれらは捨象して)、歴史的=論理的に一身に繰り返す研鑽過程が必要となってくるのである。 ではなぜ、他の学問分野ではなくて、国家学説の流れを繰り返す必要があるのか。この問題についても前回説いた通り、端的には、「国家の体系性と学問の体系性との間には大きな共通性がある」からである。つまり、国家という対象の論理性を把握することは、学問を論理的、体系的に創出していく上で大きな役割を果たすということである。このことを本論文では、実際に行っておられるのである。 では、ヘーゲルから滝村氏、さらには加納先生に至る国家学説の大きな流れについて、具体的にどのような論理的な発展があったのだろうか。現時点で筆者が把握できたことを述べると以下の通りである。 まずヘーゲルにおいては、国家を「絶対精神」の自己運動という側面から把握したことが挙げられる。これはヘーゲルにおいては国家の把握に限らず、世界の全てを「絶対精神」の自己運動から展開していることからして、当然の把握である。そしてヘーゲルは、国家の完成を「具体的自由の実現性」、つまり真の自由が現実のものとなるのは国家において他にないと捉えたのである。 これに対してマルクス・エンゲルスは、国家を「被抑圧階級を抑制し搾取するための手段」として把握した。彼らは唯物論の立場に立って、経済的構造が国家のあり方を規定すると考え、当時資本主義の矛盾が激化して、労働条件の悪化、労働者の貧困化が極度に進展した情況において、資本家階級の労働者階級への抑圧を国家の本質的なあり方が現象したものと捉えたのであった。ここから、国家権力こそが国家であると規定し、国家は階級分裂によって生じ、プロレタリア革命によって将来的には死滅するものだと主張したのであった。さらにレーニンにおいては、国家を「暴力機関」として捉えるまでになったのである。 このレーニンの国家=暴力機関という実体的な国家の把握に対して、三浦つとむは「国家意志説」を提唱した。これは、暴力的な抑圧の主体である国家という把握から、国家の行動の契機である国家意志に着目して、支配階級が如何にして支配階級の特殊的利害を社会全体の一般的利害であるかのように偽装して国家意志を成立させるのかという点を暴いたものであった。 そして滝村隆一であるが、彼はマルクス・エンゲルス以来、これこそが国家であると捉えられてきた国家権力という側面を、〈狭義の国家〉として把握し、これに対して〈広義の国家〉、すなわち国家意志を頂点とする政治的支配=被支配関係の総体をも統一して把握すべきだと主張したのである。端的には、国家を二重性において捉え、〈狭義の国家〉と〈広義の国家〉の統一的把握が国家であるとしたのである。 最後に加納先生の「国家は社会の実存形態である。」についてであるが、これは滝村の国家に対する二義的な説明を克服し、さらに国家と社会との関係を明確に示したものとして、国家の本質を把握した概念規定である。 非常に簡単に述べたが、これ以上の詳細については追って考察していくこととしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月25日 09時57分04秒
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