492269 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2018年01月29日
XML
カテゴリ:雑記
(1)年末年始の多忙
 インフルエンザに罹った。年始のことである。年末年始はかなり忙しく、弟の家に行ったり、京都に勉強会で出たり、そこで遅くまで飲んで最後にラーメンという学生のような生活をしたり、家に帰ってきて地元の仲間と忘年会をしたり、年を越してからは妻の実家に行ったり、私の実家に行ったり、帰ってきてまた地元で新年会をしたりといった具合であった。

(2)財布紛失
 さらに悪いことには、その最後の新年会で調子に乗りすぎて、財布を紛失してしまったのである。実家から帰って来たその日に新年会があったのだが、帰って来た時には既に新年会が始まっていて、遅れて参加した私は、皆の雰囲気に早く追いつこうと、割と速いペースでウイスキーを飲んだのであった。仕上げにカラオケまで歌ってしまって、完全に頭にきてしまった(別に怒っているわけではない)。脳の統括が揺らぐとどうなるか。当然フラフラになってしまって、帰る途中で大きく転倒したことを(何とか)覚えている。しかもその日に限って、(長)財布を入れられるようなポケットのない服装だったため、自転車のかごに財布を入れて帰ったのであった。家に着いた時、やっと財布がないことを把握し、もう一度お店まで戻って探したのだが、遂に財布は見つからなかった。

(3)寒さによる身体的疲弊
 翌日も朝早くから、寒い中を、通って帰ったであろう道を探しに探したが、どこにも財布は見当たらなかった。間違いなく、転倒した際に自転車のかごから財布が落ちてしまったのであろうが、肝心の転倒した場所を覚えていない。手の甲が血だらけになっていたし、腰にも打撲痕のようなものがあったから、転倒したことは間違いないのである。財布の中身はというと、クレジットカードや銀行のキャッシュカード、保険証、現金1万円ほど、その他であるが、一番の問題は、その財布は誕生日に妻に買ってもらったお気に入りのものだったということである。失望のうちに家に帰り、寒さで真っ赤になった自分の手に驚いた。

(4)精神的ショック
 とりあえず、クレジットカードとキャッシュカードを止めるために、カード会社と銀行に連絡を入れた。しかし困ったことに、クレジットカード払いにしている諸々の引き落としについては、個別に私の方から連絡して、カードの番号が変ったことを伝えなければならないということが分かったのである。クレジットカード払いにしていたのは、今思い出せるだけでも、電気、新聞、ケータイ、インターネット、自動車保険、JAF、アマゾンなどである。ネットで手続きできるものもあれば、用紙を請求して、それに記載して返信しなければならないものもあった。非常に手間のかかる作業で、このことを知った時点で、また気持ちがどんよりとしたのだった。財布を失くしてしまったというショックに加えて、面倒な作業をしなければならないという負荷がかかったのである。

(5)金縛り
 この日の夜、少し体調がすぐれない気がしたが、それも財布を失ったショックで気が滅入っているのだろうと思っていた。しかし布団に入って寝入ってしまうと、しばらくして金縛りのような状態になってしまったのである。全く身動きが取れず、初めの一瞬は相当焦ったのだが、これは昔、高熱が出ている時に同じような症状になったことがあったと思い出して、別に寝ているのだから身動きが取れる必要はないと開き直り、そのまま寝ることにしたのであった。その後も、一度意識を取り戻して、ああ、動けるな、やっぱりそういうことか、と思っていると、またしても金縛りである。しかしここでも落ち着いて、そのまま寝てしまったのである。

(6)熱の上下動
 次の日、起きて体温を測ってみると、案の定、38度5分であった。その日の夜は悪夢というほどではないが、変な夢を見た。実家の近くを私が歩いているのであるが、見覚えのある家々が次々に崩壊していくのである。金縛りにはかつて遭ったことがあったが、「原風景の崩壊」は初めてであった。こうした熱が次の日まで続き、さらにその次の日には、漸く体温が下がってきた。具体的には37度少しになったのである。これでも大丈夫、と思い、翌日には元気よく遊びに行き、帰ってから念のため熱を測ってみると、何と38度5分に逆戻りである。一体どうなっているのだと思いつつ、次の日はゆっくりと休んで、そのまた次の日、朝、もし熱があったら病院へ行こうと思っていたのであるが、測ってみると36度3分。もう全くの平熱である。その前の日くらいから少し咳が出ていたが、これなら問題ないと思い、出勤することにしたのである。

(7)何かがおかしい
 ところが、久しぶりの出勤ということもあってか、家から最寄りの駅までの徒歩が非常につらい。鞄がやたらと重たく感じる。電車に乗ってからも、座って寝ているにも拘らず、どうしようもない気分の悪さが襲ってくる。これはしばらく人ごみの中にいなかったために、急にこういう満員電車に乗った反動で、圧迫感というか、空気の薄さというか、そういうものが影響しているのだろうと思ったのである。職場に出てからは、やたらと咳が出る。一度席を外してまた自席に戻ったら、周りの人間が全てマスクをしていたのには驚いた。原因菌がマスクをしろよ、というメッセージに思えたが、あいにく私はマスクが大嫌いなので、素口(?)のままゴホゴホやっていた。大体、1度につき4回くらい連続で咳をして、この1セットが1分間に3回くらい襲ってくる。しかもこのペースが途切れることなく続くのである。さすがにこれは変だと思って、帰宅するとすぐに近くのクリニックに行ったのである。

(8)インフルエンザでない理由を考える
 受付で、インフルエンザの検査をしますかと問われたので、念のためにお願いしますと言って待合で座っていた。この時考えていたことは、自分がインフルエンザである可能性についてである。もしインフルエンザであれば、今日の職場でのゴホゴホは、菌をまき散らす嫌がらせ以外何物でもないことになってしまう。そんなはずはない、自分はインフルエンザではないのだ、そう思いたいがための考察である。まず考えたのが、感染源である。年末から年始にかけて会った人の中に、インフルエンザだ、若しくは後でインフルエンザと判明した、という人は見当たらなかった。次に昨年との比較である。昨年もインフルエンザに罹ったのだが、この時は高熱が続いて、熱が上下動を繰り返すなんてことはなかったし、すぐにこれはおかしいと感じたのだ。しかし今回は、熱が下がることもあったし、今日の朝は出かける前、そんなにダメだという感じもなかった。さらに今回は、インフルエンザの予防接種も受けていた。もう1つ考えたのは、これはインフルエンザではなくて単なる風邪であるということである。年末年始の多忙に加え、財布を失くしてしまい、精神的に弱っているところに、さらに寒い中を財布を探し回るという無理をしたせいで、単純に体全体が弱ってしまい、その結果、熱も出たりしたが、少し休めば体が回復過程を進んでいき、熱も引いていったのだ、それが治り切っていないうちに遊びに出かけたり、無理に出勤したりしたために、また風邪を少しぶり返したのだ。こんなことを考えていたのである。

(9)インフルエンザ判明!
 検査後も少し待たされて、いよいよ検査結果が出たということで呼ばれてみると、今までのこじつけ的な考え方が単なる虚構であって、事実は歴然としたインフルエンザであることが分かったのである。先生はあっさりと、「インフルエンザのB型ですね」とおっしゃい、点滴の準備を始められる。私が今日職場でやってしまったことを反省するというか、後悔するというか(今朝のうちに検査にきていればよかった)、申し訳ないと思うというか、とにかく心の中が乱れに乱れていることなど、当然ご存じない。点滴中もいろいろ考えてしまったが、とにかくクリニックを出たらすぐに、職場の人間全員に電話をして、すいませんでしたと素直に謝ろう、そういえば一昨日一緒に遊んだ仲間にも移ってしまうかもしれないから、こちらにも連絡しておこう、ということにまとまった。そして点滴後、会計を済ましてクリニックを出て、予定通りの謝罪の連絡をして家に帰った。

(10)判明した感染経路
 帰って妻にインフルエンザだったことを伝えると、それはそうだろうと言う。えっ、と思ってきいてみると、どうやら妻の実家のお父さんお母さん、それにお兄さんも、全員が今、インフルエンザで倒れているらしい。年始に妻の実家に行ったとき、確かにお母さんが具合が悪くて寝ておられた。そこから全員に広まったらしい。それでその時に既に私に感染していたのだろうと言うのである。さっき、クリニックの待合でインフルエンザではない理由をあれこれ考えていた「まず」の部分が、いきなり否定されたのである。それならそうと早く教えてくれていれば、今朝の段階でインフルエンザを疑って、まずは検査をしてから、陰性なら出勤する、ということも考えられたのに。しかしそんなことをいまさら言っても始まらない。ここからは、これ以上家族などに感染させないように、一人引きこもってひたすら休むだけである。

(11)財布は見つかった
 そこからまたベット中心の生活が始まった。食欲もなく、ましてやお酒など全く欲しくない。それでもタバコは少ないながらも吸っていた。銀行のキャッシュカードの再発行の手続きや、クレジットカード払いの番号変更などの実務も何とかこなした。そういえば、言い忘れていたが、実は財布は見つかっていたのだった。紛失した翌々日の夕方、既に相当程度、当時は風邪だと思っていた症状が進行していて辛かったためソファーで寝ていたのだが、そこに長女の大きな声が響いたのである。「パパ! 財布あったよ!」と。これは全く理由が分からないのであるが、なぜか長女の自転車のかごの中にあったというのである。中身はともかく(とはいえ、中身も全部そのままで、何も捕られてはいなかったのだが)、お気に入りの財布が出てきて本当に良かったのであるが、既にカードは止めていて、やはり手続きはしなければならない情況であったし、風邪だと思っていたインフルエンザももはやその安心感では食い止められないほど私の体を侵食してしまっていた。なので、財布が見つかったことは本当に嬉しいのだが、タイミングが悪かった面は否めない。

(12)功罪
 今年1年分の悪い出来事がすべてやってきたかと思っていたが、財布も見つかり、中身も無事で、カード類の手続きも思ったほど難しくもなく済んでしまった。さらに大きかったのは、体重が5kgほど減ったことだった。つまりダイエットにはなったということである。ほぼ毎日飲んでいるお酒も控えられ、想定外の休肝日を確保することもできた。しかし、財布を失くしたことで大きなショックを受けたことも事実であるし、金縛りや「原風景の崩壊」などの災難もあった。また、今シーズン最後のバスケの試合にも参加できず、負の側面も当然ながら否めなかった。

(13)今後に生かす
 やはり心身への過度の負担のある一定の継続が、インフルエンザウィルスの身体への侵入、増殖を招いたのだという事実はよく考えておく必要がある。同じ時期に感染源であるお母さんに接したはずの妻、長女、次女は、そしてその後、インフルエンザが発症した私に少なからず接していたはずなのに、インフルエンザが発症しなかったのである。この事実は、体の免疫能力の重要性を物語っているし、その免疫能力が低下する要因として、身体的な影響(疲労や寒さなど)に加えて、精神的な影響(財布を失くしてしまったショックなど)も考慮しなければならないということを教えているのである。十分な睡眠、栄養バランスの整った温かい食事、適度の運動を意識的に実践することで、今回の反省を今後に生かしていきたいと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018年01月29日 13時03分04秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

言語学

(310)

夏目漱石

(17)

日本史

(15)

学一般

(311)

小説

(63)

計画

(6)

学び方・振り返り

(321)

人間観察

(30)

雑記

(144)

カレンダー

バックナンバー

2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年07月

お気に入りブログ

よきぞうのひとり言… よきぞうさん

日記/記事の投稿

コメント新着

自由びと@ Re:言語規範とは何か(5/5)(03/19) 久々の投稿です。 「言語規範とは何か」…
http://buycialisky.com/@ Re:歯が抜けた(04/06) which one is the best viagra or cialisf…
http://buycialisky.com/@ Re:2014年8月を振り返る――学問化可能な認識の創出に向けて(5/5)(09/03) prijzen van cialissubaction showcomment…
http://viagravonline.com/@ Re:歯が抜けた(04/06) que hace el viagra en el organismo &lt…
http://viagraessale.com/@ Re:2014年8月を振り返る――学問化可能な認識の創出に向けて(5/5)(09/03) viagra and related products <a href…
山折哲(ペンネーム)@ Re:2017年7月を振り返る―像の文字化と文字の像化を通じた論理能力向上に向けて(5/5)(08/02) 南郷派の手技療法士の発言で気がついたの…
山折哲(ペンネーム)@ Re:2017年7月を振り返る―像の文字化と文字の像化を通じた論理能力向上に向けて(5/5)(08/02) 先日、南郷派の民間療法士が電子書籍を出…
山折哲(ペンネーム)@ Re:2017年7月を振り返る―像の文字化と文字の像化を通じた論理能力向上に向けて(5/5)(08/02) 人間も動物ですから、自律神経は動物とし…

フリーページ

サイド自由欄

ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

© Rakuten Group, Inc.