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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2018年03月14日
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カテゴリ:言語学
(2)言語は表現であり、言語規範は認識である

 前回は、表現者とその受け手が共通の思いやイメージを頭の中に描くことができない場合があるのはなぜかという問題に触れました。そしてこの問題を解決するためには、言語の意味と辞書的な意味との違いを把握しなければならないこと、そのためには言語と言語規範の区別と連関を理解する必要があることを説きました。

 それでは今回から、そうした問題を解くために、言語とは何か、言語規範とは何かという問題について、分かりやすく説いていくことにしましょう。この問題を解決するために、現時点での筆者の実力によって規定した言語とは何かを以下に示し、この言語の仮説的一般論を詳しく、分かりやすく解説する形で言語とは何か、言語規範とは何かについて説明していきたいと思います。では以下に、言語の仮説的一般論を提示します。

「言語とは、人間が個別的・特殊的・一般的な共通の像を正確に描くために、規範を媒介とすることで、概念を音声や文字の類的創造として表現するものである」


 前回も触れたように、言語の目的は「自らの思いやイメージを別の人間に伝えること」です。言葉を換えれば、共通のイメージを描けるようにすることが言語の目的であるわけです。言語を媒介としたこの過程を繰り返すことで、人類は相互の考えを高め合い、文化を築いていくとともにその文化遺産を継承してきているのです。この言語の目的を上記の言語の仮説的一般論では、「人間が個別的・特殊的・一般的な共通の像を正確に描くために」と表しているわけです。ここで、「個別的・特殊的・一般的」について簡単に説明しておくと、例えば「犬」という言語でも、「うちの愛犬」という場合は個別的な犬を表していますし、「チワワという犬」と言えば、ある特殊な種類の犬を表しています。また、「犬と猫の違い」などといえば、犬一般を表しているということになります。このように、言語にはどのようなイメージを表しているのかという段階があるのです。ちなみに、「像」というのは、ここでは頭の中の思いやイメージのことだと思っておいてください。

 さて、人間が思い描く頭の中の思いやイメージというのは、そのままの形では他の人間に伝えることができません。人間の認識(=頭の中の思いやイメージ=像)は精神的な存在であって、感覚的に捉えられるものではないのです。一方で、人間がその認識を形成する直接の基盤であるこの世界は、人間の感覚器官を通して認識することができる存在であって、つまりは物質的な存在です。

 それでは、人間が思い描く頭の中の思いやイメージ、つまり認識を、他の人間に伝えるためにはどうすればいいのでしょうか。それは頭の中の思いやイメージ、つまり認識を、物質的なあり方に写し出すことによって、です。直接把握することができない精神的な存在である認識を、人間の感覚器官で把握することのできる形態である物質的なあり方に反映させることで、媒介的に把握することができるようになるのです。この認識を物質化したものを表現と言います。

 人間の表現が成立する過程を見てみると、その前提としての頭の中の思いやイメージ、つまり認識がまず存在することになります。さらに、この認識の前提として、現実の世界である対象が存在します。現実の世界に存在する対象を、感覚器官を通して反映することで認識が成立するのです。この過程的構造を端的に示せば、対象→認識→表現という反映関係の複合体を内に含んだものとなり、こうしたものとして表現を理解する必要がある、と言うことになります。

 ここで言語の仮説的一般論に戻ると、「言語とは、人間が個別的・特殊的・一般的な共通の像を正確に描くために、規範を媒介とすることで、概念を音声や文字の類的創造として表現するものである」のうち、「言語とは、人間が個別的・特殊的・一般的な共通の像を正確に描くために表現するものである」という部分の説明が以上の内容だと言うことになります。すなわち、頭の中の思いやイメージ、つまり認識を他の人間に伝え、共通の認識を描けるようにするために、他の人間の感覚器官が捉えることのできる形態である物質的なあり方に、つまり音声や文字という形に表現したものこそ、言語だということです。

 もう一度確認しておくと、表現されて、物質化されて初めて言語であると言えるわけです。言語とは物質的な音声や文字それ自体であり、感覚器官が捉えることのできる表現であるということです。

 では次に、言語規範とは何かという問題について考えてみたいと思います。

 先に挙げた言語の仮説的一般論のうち、まだ説明できていないのは、「規範を媒介とすることで、概念を音声や文字の類的創造として」という部分です。「音声や文字」というのは、言語そのものです。これは上で説明した通りです。「類的創造として」というのは、簡単に言えば、例えば「犬」という文字は、多少崩して書いても通じるということです。「犬」という文字の種類に属していると捉えられる限り、下手な字でも上手な字でも「犬」は「犬」だということです(そういうことだとここでは思っておいてください)。では、「規範」とは何でしょうか。実はこれこそが言語規範のことなのです。この言語規範を理解するためには、まずは一般的に規範とは何か、というところから説明していきましょう。

 規範というのは端的には、「観念的に対象化された意志」のことです。ここで「観念的に」というのは、頭の中でという意味です。「対象化」というのは、対象の位置に置くという意味です。つまり「観念的に対象化された意志」とは、「こうしよう」という意志を、頭の中で自分の外にあるものとして対象の位置に置くということです。少し具体的に考えていましょう。

 例えば、電車は時刻表というものに従って運行されていきます。この時刻表というものは、「何時にはA駅を出発して、何時にB駅に到着しよう」という意志を、観念的に対象化したものに基づいて作成されます。運転手は自分の意志で電車を運行してよいというわけにはいきません。必ず会社の意志に沿って運行しなければなりません。この会社の意志というものは、物質的に存在するものではなく、個々の具体的な運転手の頭の中に自らの行動を規定するものとして、観念的な形で存在しています。これがすなわち規範というものです。ですから、電車の時刻表は、この規範を誰の目にも明らかな形に表現したものだということになります。

 自らの意志の他に、この観念的に対象化された意志が存在することにより、この規範に規定された形で自らの意志が働くことになるのです。乗客が予想以上に多く、A駅の出発時刻が少し遅れたとすると、次のB駅に規範どおりに到着するために、運転手は自らの意志を規範と調和させる形をとります。つまり、AB間の電車の運行速度を通常以上に速める形をとるのです。

 規範はこのように、自らの行動を規定する、あるいは自らに命令する役割を果たすものなのです。

 では言語規範とはどういうものでしょうか。それは、ある特定の認識の表現には特定の文字や音声を使わなければならないという、また逆に、ある特定の文字や音声を受け取ったら特定の認識を思い浮かべなければならないという、客観的な約束事だと言えます。これは目に見える形で存在するものではなく、人間の頭の中に存在するものです。つまり認識の一種だということになります。

 しかしこの言語規範は、個人の頭の中に存在するものであるとはいえ、個人が勝手に作り変えることができるものではありません。言語規範が「約束事」である以上、同じ社会で生活する人々の共有物として、社会的な性格を帯びているのです。また、言語規範が社会的な性質を持っているからこそ、言語の目的である「共通の像を正確に描く」ことができるのです。

 このように、言語規範というものは人間の頭の中にあるものであって、しかも社会的な産物であるのです。言語の仮説的一般論では、ここを捉えて「規範」と言っているわけです。





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最終更新日  2018年03月14日 06時00分05秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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