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なんとなく、"草枕"が行動指針化している今日この頃。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。思えば、人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって魔法のように作り出すものではない。 人が生まれ落ちたその足下の土くれの下に、最初から埋もれているものではなかろうか。 迷った時には立ち止まり足下の土をふるえばよい。さすれば、そこから自然に大切なものが顔を出す。惑い苦悩した時こそ立ち止まらなければならぬ。 川を堰きとめ山を切り崩して猛進するだけが人生ではない。そこかしこに埋もれる大切なものどもを、丁寧に、丁寧に掘り起こしてゆくその積み重ねもまた人生なのだ。」(夏目漱石、草枕)
いつの時代も生きることは楽ではない。 閉塞感が漂う日本において、「生きる」というテーマについて考えざるをえなくなっている。 「人生にあぐらをかき、安定した話などはどうでもよい。結果はともかく、あるべき姿を求めて、いかに悩み、いかに深く生きたか。いかにさわやかに、いかに優しく生きたか」 悩むことは悪いことではない。"いかに悩み、いかに深く生きたか"、そして、頭では悩みながらも、"いかにさわやかに、いかに優しく生きたか"である。
清水の次郎長のくだりにこんな光景がある。 ある渡世人に次郎長が聞かれた。 「お前のために死ぬ子分は何人いるか?」 次郎長は答えた。 「ひとりもおりません。しかし、わっちは子分のためにいつでも死ねます」 組を仕切るというのは、命を賭けるということ。弱気を助け、強気をくじく。さすれば、みんなにがんばってもらえる。次郎長はみんながいるから次郎長をやっている。みんなに"生かさせている"。 そして、みんなを"生かす"。自分のことだけではなく、他の人のためにも生きることが"生きる"こと。
日本復活のキーは、こんなところにあるのかも。 迷った時、悩んだときは、人生の先輩に聞けば大概のことは経験済みである。頼りになる先達はたくさんいらっしゃる。人は一人ではない。 私にとって"生きる"とは、好きな人々と人生の"一コマ"を共有し、ともに歩む続けることである。 つぶやきながらもがんばろう。 「草枕、草まくら、くさまくら・・・」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.19 09:35:58
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