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たまにいくエイジアン・マーケット、レジ脇の棚に無造作に置かれていた本が文庫サイズだったので、あれ、と思いました。日本人のお客さんがそんなに多いというわけでもないのに、誰が売って行ったのか、日本語の本でした。
カバーもない痛んだ文庫本は一冊99セント。曽野綾子の本が目に入りました。一緒においてあったモーリヤックの「イエスの生涯」と一緒に買って来ました。 曽野綾子はクリスチャン作家だということは知っていましたが、今までしっかり読んだことはありませんでした。なぜか、怖そう、強そう、冷たそう、という印象があって。 ところが、読んでみて、その語り口のさっぱりした中に、深く広い視点がうかがえ好感を持ちました。この「後は野となれ山となれ」は彼女のエッセイの中から、特に信仰について書かれているものを編集したものです。 彼女は繰り返し、私はより暗いところにおいて(も)神の働きを見た、というようなことを書いています。共感します。 神様の働きは、明るい、清らかなところにのみ、一面的に表れるものではありませんよね。もしそうであったなら、私など、どうして神様に望みをおくことができるでしょうか。 このエッセイ集を読み終わった後、何か後押しをしてもらったような気持ちになりました。今まで彼女のものを読んでこなかったことを少し後悔しています。 この本を、あのマーケットに売った人は、どんな人だったのかな、今どうしてるのかな。日本に帰ったのでしょうか。私、あなたの本、読みましたよ。ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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