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タイガース非公式サイト2代目@ Re[1]:タイガース背番号史 22-3(05/28) New! ヒロくん2010さんへ コメントありがとう …
ヒロくん2010@ Re:タイガース背番号史 22-3(05/28) New! おはようございます😃 朝から雨が降ったり…
パピー殿@ Re:いよいよ交流戦 昨年に比べ厳しい見通し(05/27) 勝ったと思ってたこの試合、一発を打たれ…
ヒロくん2010@ Re:タイガース背番号史 22-2(05/21) おはようございます😃 薄曇りのような空で…
ヒロくん2010@ Re:タイガース背番号史 22-1(05/13) おはようございます😃 朝早くは曇っていま…

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2024年05月06日
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背番号21(その7)

背番号21の第7回目です 
 5月6日の広島戦が雨天中止になったの久しぶりに背番号史を挿入しますね

 「21番」も残すところ3人となって今回が最終回 
登場する3人はみんな投手よ それぞれ活躍したピークの時期があって それなりに貢献した選手たちです

前回のクリーク投手以来5人続けて投手がつけてるから 最近では背番号「21」は投手の番号として認識されるようになってるね

では最後の3人を見ていきましょう 今回はちょっと長くなるよ お付き合いのほど!

吉野 誠 投手

埼玉県さいたま市出身のサウスポー。大宮東高時代は県内有力とみなされながら甲子園出場はできなかった。

卒業後日本大学へ進学すると2年にはエースとなり、東都大学野球1部昇格の原動力になる。1部リーグに上がってからは38試合14勝15敗192奪三振で防御率2.24を記録している。

1999(平成11)年のドラフト会議ではタイガースの2位指名を受けて入団、背番号「21」の継承者となる。


 ルーキーイヤーの2000(平成12)年は、当時の野村監督がほぼ中継ぎ専門で34試合に起用しており、0勝4敗、防御率3.99の成績だった。

ところが翌2001(平成13)年は15試合に終わって投球回数も半減、防御率も4.12と成績を落としている。

 2002(平成14)年、星野仙一が監督に就任し、佐藤義則がピッチングコーチとなって転機が訪れる。高校時代からオーバーハンドで通してきたが、これという特徴もなく、このままではプロとして厳しいと判断され、サイドスローへ転向したのが吉と出る。

 この年は35試合すべてリリーフに起用されて27回を投げ奪三振33、防御率は1.33と飛躍的に成績が伸びた。投球回数が登板試合数を下回っていることが示す通り、左打者へのワンポイント起用でも結果を出している。奪三振も初めて投球回数を上回った。

 続く2003(平成15)年はリーグ優勝した年で、吉野はすべてリリーフでチーム最多となる56試合に登板し貢献している。

日本シリーズは惜しくも3勝4敗でダイエー・ホークスに敗れたが、吉野らしい使われ方をされ、しっかり期待に応えた。全7戦のうち6試合に登板し次の成績を残している。

第2戦 1回 12球 打者4人 被安打0 1四球 1奪三振 失点0

第3戦 3回 36球 打者9人 被安打1 3奪三振 失点0

第4戦 1/3回 3球 打者1人 被安打0 失点0

第5戦 1/3回 6球 打者2人 被安打1 1奪三振 失点0

第6戦 1回1/3 16球 打者5人 被安打1 失点0

第7戦 1回1/3 16球 打者5人 被安打1 失点0

 ロングリリーフあり、ワンポイントあり、イニング跨ぎありと、あらゆるリリーフ形態で使われ6試合で無失点、第3戦では勝利投手になっている。しかし大車輪の活躍は疲労を残し、次のシーズンにも影響していく。

 2004(平成16)年は岡田彰布が監督に就任、4月7日の横浜ベイスターズ2回戦で悲劇が起こった。試合のスコアは次の通り。

阪神 000 000 000  0

 横浜 011 232 08X 17

 この試合の8回に登板したのが吉野で、スコアは0-9とうこともあり敗戦処理の意味もあるが、この回がおそらく横浜最後の攻撃となることから調整登板だったと考えられる。

 ところが吉野が打たれだして止まらない。1イニング打者14人に対し被安打9で8失点、1イニングに投じた64球は今もプロ野球記録だ。監督は大敗濃厚の試合の8回を吉野でさっさと終わらせるつもりでマウンドに送ったが、ポカスカ打たれ続けて代え時を失い、結果的に「晒しもの」にしてしまった。

この試合は吉野にとって相当なトラウマになったかもしれないし、岡田監督への不信感が生まれたかもしれない。この年は23試合の登板に終わり、防御率は16.76と桁違いの不振に終わった。


 以後、2005(平成17)年が12試合、2006(平成18)年は
背番号「21」をルーキーの岩田稔に譲って「47」に変わり8試合、2007(平成19)年は7試合と低迷を続け、浜中おさむとともにオリックスへ放出されてしまった。

オリックスでは1年目の2008(平成20)年に43試合の登板したもののその後2年間は低迷。

ところが2010(平成22)年に就任した岡田監督のもと、2011(平成23)年に復活を遂げ、50試合に登板し防御率1.19というプロ入り以来最高の投球を見せた。

その翌年も40試合に投げて貢献したが、2013(平成25)年は開幕戦のリリーフに失敗して2軍暮らしとなり、シーズン途中の7月にソフトバンクホークスへトレードされる。ホークスでも登板機会はなくシーズン終了後戦力外となって引退した。

通算成績は340試合4勝11敗1セーブ26ホールド 250回2/3を投げて奪三振197、自責点109、防御率3.97である。

岩田 稔 投手

岩田は大阪府守口市の出身で大阪桐蔭高校へ進んでいる。高校2年生の冬に1型糖尿病を発症、病気を理由に社会人野球部への内定を取り消されるという仕打ちを受け関西大学へ進学する。

病気と闘いながら野球を続け、大学通算23試合6勝10敗143奪三振、防御率2.11の成績を残した。

迎えた2005(平成17)年のドラフト会議では当時タイガースのスカウトを務めていた山口高志の強い推しで「希望入団枠」によりタイガースへの入団が実現したものの、1年目の2006(平成18)年が1試合0勝1敗、2年目の2007(平成19)年が4試合0勝1敗と壁に当たる。


 2008(平成20)年、岡田監督が先発ローテーションに組み込んで辛抱強く起用すると、27試合10勝10敗、防御率3.28と覚醒する。

しかしながら病気を持ちながらの選手生活は厳しいものがあり、以後二けた勝つことはできなかった。

それでも2009(平成21)年から引退する2021(令和3)年までの13年間で168試合に登板しているが、そのうち162試合に先発しており、貴重なサウスポーとして選手生活を全うしたと言えるだろう。

ほとんどが先発起用だったことには、1型糖尿病の影響で疲労回復に時間がかかり、毎日投げなければならないリリーフを務めることは難しかったこともあったと思われる。通算でも負け越しており、中6日でも厳しかったのかもしれない。


 150キロ前後のストレートが微妙に揺れる「ムービングボール」を武器に、スライダー、フォーク、チェンジアップなどの変化球も多彩で、三振もとれる投手だった。岡田監督は岩田の能力を高く評価しているし、病気がなければ100勝はしていたのではないかと思うと残念だ。

岩田は同じ1型糖尿病と闘う人たちへの支援活動も行うなど社会貢献が評価され、2013年には球団から「若林忠志賞」を送られている。1型糖尿病患者の人たちへの支援活動は現在も続けられている。

 
通算成績は200試合(先発193)60勝82敗、1178回2/3を投げて854奪三振、自責点443、防御率3.38という立派なものだ。

現役16年間を背番号「21」で通し、タイガースでこの背番号を背負った最長の選手でもある。

秋山 拓巳 投手

香川県丸亀市出身だが父親の仕事の関係で愛媛県西条市に転居している。少年時代から投打に優れた才能を発揮し頭角を現すのは早かった。高校は地元の西条高校へ進み、当然のように1年生でエース兼4番としてチームの中心になり、3年時の2009(平成21)年には春夏とも甲子園に出場し、長身から投げ下ろす本格右腕としてプロの評価も高まった。一方左打者として高校通算48本塁打を記録したようにバッティングもポテンシャルは高かった。

2009年のドラフト会議ではタイガースが4巡目に指名して入団しており、最初にもらった背番号は「27」だった。高卒新人投手は通常30番台から40番台が普通なので、秋山への期待の高さがうかがえる。


 ルーキーイヤーの2010(平成22)年8月21日の東京ドームでの巨人戦で初登板初先発のチャンスが来る。秋山は5回まで3-2とリードをもらうが6回に2失点で負け投手になる。成績は6回打者27人に対し6安打3四球5奪三振4失点だった。

一週間後の8月28日のヤクルト戦では5回1失点でプロ初勝利を挙げている。前回登板に続き4四球と制球には課題が残すが、9月12日のヤクルト戦では制球も修正され被安打4奪三振3でプロ初完封勝利を飾っている。

 1年目は7試合に登板しすべて先発で4勝3敗、40回1/3を投げて奪三振23、自責点15防御率3.35の成績で、近い将来ローテーションの柱になるのではという期待が膨らんだ。

 ところが2年目から6年間に及ぶ長期の低迷期に落ち込んでしまう。その間の成績は次のように寂しいものだった。

 2011(平成23)年 2試合0勝1敗 7回1/3 防御率6.14

 2012(平成24)年 2試合1勝1敗 8回    防御率9.00

 2013(平成25)年 8試合0勝3敗44回2/3 防御率3.83

 2014(平成26)年 2試合0勝1敗 6回2/3 防御率20.25

 2015(平成27)年 3試合0勝1敗14回1/3 防御率4.40 

 2016(平成28)年 8試合1勝1敗20回    防御率4.05 

 高校時代には剛腕を誇った秋山だったが、プロ入り以降は一向に球速が上がってこない。平均球速が130キロ台の投手のままで、これではストレートと変化球のスピード差による緩急がうまく使えない。この6年間は自分の投球スタイルをどうしていくか模索と苦悩の連続だった。

 そうした中で投げ込んでいるうちに増してきたのが制球力。非常にコントロールが良くなって、きわどいコースの出し入れが自在になってきた。これが武器になっていく。

 2017(平成29)年は背番号が「27」から「46」に変えられたが、秋山は1年間ローテーションを守って25試合25先発、12勝6敗、159回1/3を投げて規定投球回数もクリア、与えたフォアボールがわずか16個というのはリーグ最少だった。奪三振123は自己最多、自責点53で防御率は2.99。ぎりぎりだが2点台を叩き出し、大変身を遂げた。

 
 2018(平成30)年から2019(令和元)年には、打線とかみ合わないめぐりあわせが多く、5勝10敗、4勝3敗と低迷する。

 しかし、2020(令和2)年はローテーションの一角を守って11勝3敗と2度目の二けた勝利を挙げ、防御率も2.89で内容は安定していた。

 続く2021(令和3)年もローテーションを死守し、10勝7敗で2年連続二けた勝利。防御率も2.71と自己最高を記録している。シーズン終了後の契約更改ではプロ12年、30歳にして1億円プレーヤーとなった。

 2022(令和4)年には岩田の引退により背番号「21」を引き継いでいるが、一方でチームの編成方針が変わってくる。近年ドラフトで投手を上位指名してきており、選手起用を見ても投手陣全体の若返りにシフトしたような様相である。


 秋山は開幕早々2連敗すると4月10日に登録抹消され、28日に復帰して1勝するがまた打ち込まれて抹消。その後は2軍でシーズンを終え、公式戦は5試合1勝3敗で防御率5.48に終わっている。

2023(令和5)年に岡田昭信監督が就任すると若手優先の傾向が強まり、秋山は1年間の大半を2軍で過ごした。テスト的に開幕直後と8月の2度先発の機会が与えられたが0勝1敗で、結果が出ないとすぐ抹消されている。それぞれ1試合のみで判断されて即抹消というのは残酷に感じるが、チーム方針が決まって、伸び盛りの若手投手がひしめいてきている状況では仕方ないのだろう。厳しい世界である。

結局2試合0勝1敗で、オフにはトレード候補や現役ドラフト候補などと周囲からささやかれたが残留。2024(令和6)年は進退のかかった正念場を迎えたと言っていいだろう。

まとめ

皆さんどう?3人の投手思い出した?

吉野さんは先代に聞くとほんの1~2年だけど ものすごいキレのあるボールを投げてたんだってね でもこういう変則の左横手投げタイプは故障しやすいんだって 田村勤投手とか榎田さんなんかもそんな感じだったそうね ウィリアムスさんは頑丈だったみたいだけど

岩田さんは病気を抱えながら16年間もよく頑張ったとおもう 同じ病気の人のために役に立とうという気持ちも素晴らしいな そんななかでの通算60勝はすごい数字なんだけど 病気がなかったらとおもうとホントに残念だわ ココリコの遠藤さんに似てるって言われたんだってね 確かに似てるわ

秋山さんはツイてないことが多いのかな 高卒ルーキーで4勝したあとの長い低迷が痛いなあ 2023年までの14年間で49勝44敗と勝ち越してるのはいいけど いろんな歯車が合っていれば80勝ぐらいできたんじゃないかなって思う

これで背番号「21」は終わりです。

次の「22」は田淵幸一さんに代表される番号ね 新しいところでは藤川球児さんも付けてたわ 期待して待っててね!

背番号22へ続く



 

  

 

 

 



 

 


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Last updated  2024年05月07日 03時22分52秒
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