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カテゴリ:洋画(07)
監督・脚本・製作 : ウスマン・センベーヌ
出演 : ファトゥマタ・クリバリ 割礼は、何百年も続いてきたこのアフリカの村の風習だ。しかし、子供は本能でそれを嫌う。四人の子供は逃げてきた。二人の子供は自殺までしてしまう。母親は立ち上がる。最初はひとつの家族から。やがては村のほとんどの女たちが。長老は絶対に認めない。帰って悪い情報を与えるラジオを没収して回る。 村には長老の独裁的な権限と、保護を求めてきた子供は無条件に保護されるという民主的なおきてとがある。長老は抵抗している母に鞭を打って従わせようとする。女の夫ならそれが出来る掟のようだ。夫はいやいやながら、けれども村全員が見ている前で容赦なく打つ。けれども女は「保護」を撤回しようとはしなかった。女たちはさらに団結をする。 <世界>の縮図がここにあるだろう。ここに不当な<法>はいかに廃れていくのか、どのように闘えばいいのか、重要な<ヒント>がある。 私は重要な法則を実はこの映画を見る前に見つけていた。哲さんがその「具体例」がこの映画にあるというので、見に行った。 重要な法則とはなにか。 「男だけの会議で精神論を持ち出すと、なぜかどんどん暗くなっていくが、女だけの会議で精神論を持ち出すと、なぜかどんどん明るくなっていく。」 割礼には何の経済的効果もないだろう。あるのは伝統を守るかどうか、ということと得体の知れない価値観の転換への恐怖である。男は具体的な達成目標がないとどんどん暗くなっていく。女は何をするだろうか。夜を徹して話し合う、あるいは寄り添う。そして歌を歌うのである。ひとりが朗々と歌う。周りがリズムをつける。 そのとき古い法は廃れていくだろう。 教育基本法の闘いの時には、もっと歌う必要があっただろう。 護憲の歌はもっともっと必要だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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