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カテゴリ:社会時評
12月29日から1月3日まで開いていた「岡山年越し派遣村」が閉村した。私はつきあいがあって5日参加。とはいっても、1日主に受付をしていただけである。 毎日五号まで出た「派遣・労働者支援センター派遣村ニュース」から抜粋してこの6日間を振り返る。(なお、数字は最終確認をせずに書いているので若干不正確です。) 1日目 派遣村の入村者は初日30人でした。夕方5時までと聞いていたのでギリギリに相談にこられた女性もいました。最初にこられた方は、午前9時。10時に開村した時にはすでに10人近くの方が待機していました。 しかし、マスコミの多さに驚いて帰ってしまったという方もいました。(略) 底冷えのする年末年始で最も気になるのがシェルター問題。初日は9人の方が希望し、途中で待てなくなった人を除く8人全員の宿泊を確保しました。 2日目 初日の夜に4人の方が訪ねてこられました。この方たちを含めて2日目の入村者は37人になり、前日より7人増になっています。 (略)中には、テレビで見たが、まだ相談に言ってもよいか、とか、倉敷のはローワークから臨時宿泊所を紹介して欲しいという依頼も寄せられています。 昨日から今日まで現地に寄せられたカンパの総額は、25万円を超えました。急遽作成した郵便局の口座へのカンパ申し込みもあります。わずかな期間でここまでカンパが寄せられることは、市民の関心の高さと事態の深刻さが伝わっている証左です。 ハローワークプラザでの生活保護申請が本日までということで相談者の内容から一刻も早く生活保護につなげる必要があると判断した5人は、直ちにはローワークプラザで申請し受理されました。 またシェルター利用の希望者にもホテルの提供もあわせた宿泊所の確保をしました。 3日目 12月30日は、午後からあいにくの雨。夕方からは本降りでテントも雨水がたまってぎしぎしと音が鳴り始めました。このままでは雨水に押しつぶされる危険性も。幸い雨はさほど本降りになりませんでした。 しかし、12月31日の早朝5時に、夜警をお願いしているボランティアから風でテントの一つが倒壊したとの知らせが入りました。副村長の村上さんなどが駆けつけ、2時間かかってなんとか張りなおしましたが、朝方から午前中は、なお風が強く、宣伝カーにテントをくくりつけるなど補修と補強に追いまくられました。 (略)おかやま「派遣村」の3日目は、こうした波乱がありつつも無事、時間通りに「開村」することが出来ました。寒風が吹きすさぶ中、村に集まってくる人たちの出足は若干遅れましたが、続々と昼前には前日を上回る39人の入村者がありました。 朝早くにはニュースを見て、ジャンパーをカンパするためわざわざ倉敷から訪ねてくれた方もいました。さらに事務局の電話がいつも話中にもかかわらず、粘り強く電話をかけてくださり、「年内に少しでも役立ちたい」とカンパを寄せてくださった老夫婦もいました。(略) 本日の相談は、全部で6件。東京の派遣会社で働く青年が帰省で実家に帰り、おかやま派遣村を知り、相談にこられました。友人宅に身を寄せている若者も来月下旬には仕事が決まりそうだが、年末年始は友人宅でなくてはならず、シェルター利用を希望され、入ることになりました。歩からも多重債務の相談やメンタル面での相談などがあり、終日相談者は奮闘しました。 4日目 2010年がスタートしました。昨日からの強風のためテントの補強をしながらの元旦から派遣村が開村でした。 その派遣村では、2010年正月元旦に、生活保護申請を行ないました。昨日の夕方に訪ねてこられた方で、一泊だけシェルターに泊まって、元旦の朝にアパートを探して、大家さんの好意でその日から住むことが出来るようになって生活保護につなげました。この申請には福祉事務所の所長自らが来村して受理し、つなぎ資金も持参してくれました。(略)年が明け早々に、行政を動かし、市民の要求のまえに前進が勝ち取れたことになります。 5日目 おかやま派遣村の入村者は5日間のトータルで延べ186人。最終日の1月3日分を足すと、軽く200人を突破する見込みになっています。 本日も夕方4時過ぎに駆け込みで相談があり、最後まで気の抜けない事態となっています。ボランティアは今日は50人と増え、炊き出しに加え、トン汁などのまかないを行なうまでになりました。 本日のシェルター利用は2人でした。夕方に兵庫から来たという方は、事務局の説明の悪さもあり、派遣村までまだ、いまのところたどりつけておらず、今後の案内の仕方等に課題を残しています。 (以上派遣村ニュースより抜粋) そして今日6日目、 閉村式で副村長の話では、入村者延べ236人、ボランティア延べ324人、カンパ約36万円、シェルター利用10人以上、生活保護申請9人という集約になっているそうです。(最終集約はまだ)「来年は公設派遣村を要求していきたい」と言っていました。 岡山でもやはり、派遣村を作ることで、雇用の破壊、セーフティネットの破壊を可視化することが出来ました。そして、本当にたくさんのボランティアや支援物資、カンパが集まることになりました。テレビやラジオのニュースを見たり聞いたりして、ともかく来たんだ、という人が1日3-4人はいました。「香川ではこんなことをやっていないから」と言ってきた青年は一時間だけ炊き出しを手伝って帰っていきました。「去年はボクが同じような立場だったもので」といいながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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