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テーマ:ニュース(99475)
カテゴリ:社会時評
Myツィッターでのツイートのほとんどは、私はブログのリンクを貼った上で20字から120字ほどのブログの内容の紹介に終始している。ブログを週に5-6回更新しているからツィッターもそれぐらいツイートしている計算になる。 ブログの文章さえ作れば、あとはほとんど事務作業であり手間はかからない。ブログの文章は好きで書いているのだから苦にならない。よっていつのまにか16年以上(ツィッターを使い出したのはこの10年ほど)続いている。 言いたいのはそのことではない(益子徳一オジいサンみたいに回りくどい言い方になってしまった)。 ツイートすれば、何故かブログの「閲覧」計測器が20ほど回る。基本的にツイートに「いいね」は付かない。それでも、ツイートにはリンク先を「触る」ような機能?がついているのかもしれない。仕組みはわからない。まさか20人、無言のツィッター経由のブログ読者が居るとは私は、夢夢思ってはいない。 私は「ブクログ」という読書サイトにも登録していて(kuma0504で登録)、最近ブックリストという機能ができたので、もうこの2ヶ月でセッセセッセと10数回自分や気に入ったレビューの「リンク」を貼ってきた。それによって、もしかしたらリンク先のレビューを見た人はいるのかもしれないが、いわゆるそのレビューに「イイネ」をポチッとしたのは、1-2人なのである。ブックリストという紹介そのものに「イイネ」をポチッとしたのは総数100以上あるのに、である。 もはや日本人における「イイネ」は、「こんにちは」の挨拶程度なのだろう、と私が考えてもおかしくはない。ブックリストには、「是非リンク先を読んで欲しい」と書いているのに、「イイネ」しながらそれ以上リンク先に進まない。もし本当に読んだならば、気に入らない人以外は、その労力の証に「イイネ」するものだと私は思っている。 何が言いたいのか。 「今の人たち」は老若男女、140字ぶんしか読む気が無いのだ。いや、140字は多すぎる。せめて100字分しか読まない。 リンク先まで読む人は、そのうちの多く見積もって2/100!! 当たり前だろ! もっと先に結論言えよ! そういう声さえ聞こえる気がする。 何でみんなそんなに結論を急ぐのか? 詩人の宮尾節子が11月2日のツィッターで言っていた。 ハロウィーンの渋谷で化け物に変装した若者が、インタビューに答える。「僕のように何もわからないものが、一票を入れてはいけないような気がして」となりの化け物もウンウンと頷いている。物凄く気持ちがわかる。まともだと思う。でもそのまともが参加しないことによって。政治が暴走するのが悲しい。 ツィッターで内田樹さんが選挙分析で面白いことを書いていた。(21.11.1) 朝一の原稿書きは明日締め切りの1500字。選挙結果について書きました。最大の問題は戦後ワースト3という低投票率です。「なぜ人は棄権するのか?」。 僕の仮説は「教育の成果」というものです。子どもたちは学校で「先生が出した問いに正解する」ことが知性の運用だと刷り込まれます。 先生は問いを出した後、少し子どもに考えさせてから正解を開示します。子どもたちは問いと正解を「セット」で記憶することを求められる。問いを出されて正解を知らない場合には「黙ってうつむいている」のが正しいマナーです。誤答するより沈黙の方が「まし」と教えられる。 会社に入っても同じです。上意下達的組織では、上司の出す業務命令の適否について下僚には異議を唱える権利はありません。勤務考課についても異議を唱えることはできません。現場で遭遇した想定外の事態についても自己裁量で判断することは禁じられています。 「どうしていいかわからない場合は何もしないでフリーズする」というのが日本社会が子どもたちに刷り込んできたマナーです。 選挙は「誰に投票するのが正解かわからない」選択です。正解がわからない場合には誤答するよりうつむいて黙っている。棄権者たちはそのマナーに忠実なのだと思います。 今回選挙は、SNSでバズったところは成果を得た。良くも悪くも。 だから、「今の人たち」はテレビよりもSNSを「見て」いるのだ。けれども、深くは絶対見ない。バズらないと、炎上しないと、見ない。 そしてわからない時は、「うつむいて黙っている」つまり棄権する。そして、それが自公政権を長続きさせる。 何が言いたいのか? 「イイネ」した人のうち80/100ぐらいは、 リンク先を追え! そうじゃなければ「イイネ」するな!! いや、ホントに言いたいことは、そんなことじゃないんだけどね。 投票率が上がれば、野党共闘が勝利する。その明確な根拠が以下である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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