カテゴリ:E【東欧】および 東欧での想い出
東欧の想い出 【復刻日記】
takrankeさんが読んでくださっているようなので、旧共産主義国ネタを続けている 旧東ドイツの体験談のリライト作業が進まないので、この【復刻日記】にする ―――― ◇ ―――― 【復刻日記】東欧の想い出 私は仕事の関係で旧共産主義の東欧諸国にも長期出張したことがあるが、ベルリンの壁の崩壊以前の時代の正統的な?共産圏ではテレビのチャンネルも2チャンネルぐらいしか無かった。 もちろん公共放送、それも白黒。 だから、全国民がほとんど同じ番組を見ていたわけである。 ラジオもだいたいそんなもので、みんなが同じ番組を聞いているものだから、夏休みの昼間のガラーンとした建物の間で、その番組の音声が各家庭から響いて共鳴していたのを思い出す。 長い夏休はフランスの専売特許ではない。 共産主義の数少ない余録として、共産圏の労働者諸君はけっこう長い期間の夏休みが取れた。 夏にはほとんどの人が街からいなくなる。 (産休は数ヶ月あって、これは女性にとってうらやましい話しだと思う) 東側と言えど、別荘を持っている人はざらにいたし、別荘を持っていない人も組合の施設に宿泊したり、農家に一時的に間借りをしたりと方法はさまざまでも、とにかく海や田舎に向かう。 私はポーランドに滞在中の夏休みにはワルシャワ近郊の避暑地の別荘に泊めてもらうことが多かった。 共産圏・東側・東欧の夏なんて寒いのではないかと思われるかも知れないけれど、カラッと湿気が無くて温度も結構上がって、日本の夏よりはるかに過ごしやすい。 日本の軽井沢とか北海道の夏と言えば当たらずとも遠からずだが、しかしもっと温度は上がる。 経済破綻に陥った当時の東欧だから避暑地といっても物質文明の恩恵を受けたものではなかったけれど、かえってひなびた雰囲気で、避暑地の自然そのものを味わえるひっそりとした夏だった。 貧しい玩具を売る屋台やジュースやアイスクリームを売る店、ビールのカフェぐらいがせいぜい。 子どもは川へ泳ぎに行ったりだが、おとなの楽しみは寄り集まってのおしゃべりだ。 もう一つある。 夜のテレビの映画放映である。 黒沢作品はあちらでは非常に人気があって、昼間の話題からすでに「今晩は黒沢の映画があるよね」などと言う。 私もそんな機会に「七人の侍」をテレビでた。 観ていて奇妙に感じたのは、私達が洋画を字幕で観るのとはちょうど反対で、セリフはオリジナルの日本語で、字幕が現地語になるから、鑑賞は非常に楽(?)だった。 もっともテレビそのものの性能も劣悪だし、テレビ局の放送の発信装置も旧式で画面はとても西側のそれとは比較にならない程度のものだが、それしかないとなるとそれほど不満は感じないものだ。 ラジオの方となると、夜8時頃の定時になるとポーランドの人たちがラジオにかじりついて聞く番組があった。 短波放送かなんかで聞きづらいものだから、彼らは旧式で大型のポータブルラジオを耳に押しつけて聴いていた。 それはロンドンのポーランド亡命政府からの、たしか、「自由ポーランド放送」とかいった放送だった。 ドイツの侵攻以降、ポーランド政府は地下に潜り、やがてはロンドンにその本拠を置く事になり、その放送はその亡命政府からのもので、言論統制されていた当時のポーランド国民にいろんな「真実の」情報を提供していたわけである。 この亡命政府には多くのポーランド人が参加し、ドーバー海峡をはさんだ英国とドイツ軍の有名な空戦(ある意味でドイツ敗戦の大きな原因となった)「バトル オブ ブリテン」にも多くの優秀なポーランド人パイロットが義勇軍として参加、大活躍した。 しかし戦争が終わると英国はこのポーランド人パイロットの活躍をほとんど認めないまま歴史の闇の中に葬ってしまった。 プライドの高い英国としては英国人パイロットだけの手柄にしたかったわけだ。 私は一度ワルシャワからロンドンへの機中で隣の座席に座ったロンドン在住のポーランド人老夫妻と話す機会があったのだが、奇しくもそのご主人が、くだんの「バトル・オブ・ブリテン・パイロッ」トの一人だった。 ・・・といってもそれを当のご本人からでは無く、なにくれと彼の世話をしている奥様から聞いた。 その戦功から英国永住権はもらったのだろう。 ご主人は、もう痴呆が進んでいる様子で、ただただ黙って窓から外をながめていた。 大戦末期のイタリア戦線のローマ近くにそびえる丘の上にある堅塁モンテカシーノ僧院での史上最も激しかった歴史的な戦いというものがある。 連合軍側がいかに攻めに攻めてもドイツ軍が頑強な抵抗を示して、死屍累々となった戦場だが、長い長い戦闘の後、多大な犠牲をだしながら僧院に踏み込んでその国旗を掲げたのはこの亡命政府系ポーランド軍だった。 アンジェイ・ヴァイダ(ワイダは英語読み)の名作「灰とダイヤモンド」。 その一場面で女性が「モンテカシーノの赤いケシの花」という歌を直立不動の姿勢で歌いますね。 あれはモンテカシーノの戦いで戦死した多数のポーランド兵たちの流した血を赤いケシの花にたとえた歌なので お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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質問ですが、これはざっと40年くらい前のポーランドなのですか?
日本ではカラーテレビが普及しだして、高度成長期にさしかかった頃でしょうか。日本でも庶民の生活は、ポーランドよりちょっとマシくらいの状態ですね。長い夏休みや別荘は及ばないですが。 亡命政府のラジオ放送の話読んで、お隣の北の国を思いました。言論統制の中でも、国民は密かに南や日本の放送は聞こえてるでしょうか。こんなに近いのだから、聞いて知ってほしいですね。 どうしてこんなに長い期間あの政府がもってるのか、不思議です。案外、この体制を支持してる層が多いのでしょうか。 支持されない体制は長続きしないのは、歴史が証明してますけどねえ。。 (2009.10.28 01:57:26)
Rinnさん
>質問ですが、これはざっと40年くらい前のポーランドなのですか? >日本ではカラーテレビが普及しだして、高度成長期にさしかかった頃でしょうか。日本でも庶民の生活は、ポーランドよりちょっとマシくらいの状態ですね。長い夏休みや別荘は及ばないですが。 ---- ポーランドには、何度も出張していますので、特定の年代を年頭に置いたものではないんですが、バトル・オブ・ブリテンの元パイロットに会ったのは、私がロンドン駐在員でポーランドにプロジェクト調査で出張した帰りの事です いつだったかな~? 二十数年前かな? 東欧諸国にもいろいろな国に行きましたが、私の主戦場は中東でした >亡命政府のラジオ放送の話読んで、お隣の北の国を思いました。言論統制の中でも、国民は密かに南や日本の放送は聞こえてるでしょうか。こんなに近いのだから、聞いて知ってほしいですね。 >どうしてこんなに長い期間あの政府がもってるのか、不思議です。案外、この体制を支持してる層が多いのでしょうか。 >支持されない体制は長続きしないのは、歴史が証明してますけどねえ。。 ----- 共産主義国と言っても ポーランドは、一番反抗的な国だったんです ワレサ議長の連帯や教会が中心になって ソ連の悪口を言うのが挨拶がわりの国で、他の東欧諸国とは大違い 北朝鮮の国民は、反抗する体力も無いと思いますよ ラジオも持っている人が少ないだろうし、チャンネルを固定されているだろうし 民主政治を体験したことのない朝鮮の人々に革命や蜂起は無理です (2009.10.28 02:58:42)
一度行きたいと思っていても、とうう行く機会がありませんでした。ポーランドも、通信については、東ドイツと似たり寄ったりでしたね。一度黒白TVで、やはり黒澤明の蜘蛛の巣城を、ポーランド放送で、同様にみたことがあります。仕事でみかけるポーランドの女性は、優しく、包容力があって、本来の女性らしさを感じさせるひとたちでした。何か懐かしい感じのする民族だったなあ。一緒に仕事をしていた男は、食えない男だったけれども。男も生きるために必死だったのでしょう。
(2009.10.28 07:07:42)
「灰とダイヤモンド」
とても印象に残ったセリフがあったのだけれどもそれがどういうのだったか?忘れてしまいました(汗) もう一度見れば思い出すかしら?とひとにきいてもしかたがない(笑) (2009.10.28 08:00:45)
ナチス・ドイツ占領下のオランダの地下運動の作品『ブラックブック』という作品をイメージしてしまいました。
電波ジャックしたり、身なりを変えてスパイ活動したりと見ごたえのある映画でした。 最後まで誰が裏切り者かわからなかったんですが。 産休、数ヶ月っていいなぁ。 私は産後2ヶ月しかもらえなかったのに>プンプン そういや、昔、韓国語の放送がなにかの拍子に雑音と共に入ってきたことがありました。 何言ってるかわからなかったけれど、かの国の地下政府だったりして。。 (2009.10.28 10:24:14)
ひよこ7444さん
>ナチス・ドイツ占領下のオランダの地下運動の作品『ブラックブック』という作品をイメージしてしまいました。 > >電波ジャックしたり、身なりを変えてスパイ活動したりと見ごたえのある映画でした。 >最後まで誰が裏切り者かわからなかったんですが。 ---- 私など、友人のひとりがやたらに公かな酒を出して歓待してくれて、さかんに私から情報を撮ろうとする 彼もスパイだったんでしょうね あるいは、直接、当局から「われわれは君に興味がある」とスパイのオファーを受けたこともあります(笑) >産休、数ヶ月っていいなぁ。 >私は産後2ヶ月しかもらえなかったのに>プンプン ーーーー 私の事務所の女性は、なんと一年間、休みました だれも文句をいわず プンプンでは足りないでしょう >そういや、昔、韓国語の放送がなにかの拍子に雑音と共に入ってきたことがありました。 >何言ってるかわからなかったけれど、かの国の地下政府だったりして。。 ----- 私も高校生の時など、夜間のラジオに、毎晩、北朝鮮の暗号包装が堂々と入っていました 数字だけを延々と朗読(笑)するのです パルパルとかね これを日本に潜入した北朝鮮のスパイや在日の協力者が受信、暗号コード表をみて翻訳、拉致などの実行にうつしたのです 韓国の裁判でも明らかになった(日本ではだれもが知っていたが)事実です (2009.10.28 15:50:16)
ばあチャルさん
>「灰とダイヤモンド」 >とても印象に残ったセリフがあったのだけれどもそれがどういうのだったか?忘れてしまいました(汗) >もう一度見れば思い出すかしら?とひとにきいてもしかたがない(笑) ----- 「灰とダイヤモンド」 ワイダの名作「地下水道」と共にビデオで持っています DVDに焼き直して見てみようと思います ポーランド映画って、私は高く評価しています やはり、特にワイダ (2009.10.28 15:53:09)
takrankeさん
仕事でみかけるポーランドの女性は、優しく、包容力があって、本来の女性らしさを感じさせるひとたちでした。 ーーーー 同感ですね ドイツ・英国・フランスなどの女性と比較すると、女らしさが際だちます ルーマニアの女性も、ラテンらしく、明るいが > 何か懐かしい感じのする民族だったなあ。 ーーーー 肌は白く、ブロンドなんですが、なぜか、西洋の白人のようなプライドの圧力を感じさせない、白人と感じないような人間的な人々ですね >一緒に仕事をしていた男は、食えない男だったけれども。男も生きるために必死だったのでしょう。 ----- まあ、そ~ゆ~人もいるんですが、生活の状況を考えると、まあ、しょうがないか・・・となりますね (2009.10.28 16:07:15)
takrankeさん
仕事でみかけるポーランドの女性は、優しく、包容力があって、本来の女性らしさを感じさせるひとたちでした。 ーーーー 同感ですね ドイツ・英国・フランスなどの女性と比較すると、女らしさが際だちます ルーマニアの女性も、ラテンらしく、明るいが > 何か懐かしい感じのする民族だったなあ。 ーーーー 肌は白く、ブロンドなんですが、なぜか、西洋の白人のようなプライドの圧力を感じさせない、白人と感じないような人間的な人々ですね >一緒に仕事をしていた男は、食えない男だったけれども。男も生きるために必死だったのでしょう。 ----- まあ、そ~ゆ~人もいるんですが、生活の状況を考えると、まあ、しょうがないか・・・となりますね (2009.10.28 16:07:16)
【復刻日記】の楽しみ方を【復刻日記ジャンヌ・モロー】のところにコメントしましたので読んでくださいね。みなさん。
(2009.10.29 20:03:19)
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