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アルタクセルクセスの王宮址遺跡

アルタクセルクセスの王宮址遺跡

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2008年11月26日
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カテゴリ:歴史・考古学
 最近ご無沙汰していた考古学関係のニュース紹介。といっても自分の興味関心に従って選んでいるので西アジア限定、しかも時代もニュースソースサイトも限られていますが。

1.「塩人間」発見の鉱山の操業停止が決定
 オーストリアとイタリアの国境の高山氷河で発見された「アイスマン(氷人間)」は有名だが、イランのザンジャンという所では15年ほど前に「塩人間」(真空カプセルに保存されているが、首だけなので結構えぐい)なるものが発見され話題になった。テヘランの北西25kmにある岩塩鉱山からはおよそ1700年前のものとみられる人間の遺体が見つかったが、塩分のおかげでミイラ化し、髪の毛や耳たぶの金のイヤリングの穴はもちろん、羊毛などの持ち物もしっかりと残っていた。
 見つかった遺体数は6人分になり、研究者は採掘の停止と遺跡としての保存を求めていたが、イラン鉱業省は2007年にも操業の10年延長を決めていたが、急転して採掘中止と遺跡公園としての保存が決まったという。
 
 それはいいのだが、結局この遺体になった人たちはこんな山の中で何をしていたのだろうか?岩塩を採掘していたのだろうか。似たような塩漬けミイラの例はオーストリアのハルシュタット(ヨーロッパの鉄器時代の示準遺跡として有名)やデュルンベルクなどにもある。

2.「最古のヘブライ文字」見つかる?
 僕も今年の夏はイスラエルでの調査に参加したが、そのイスラエルからのニュース。エルサレム近郊のエラーで調査しているヘブライ大学のヨセフ・ガーフィンケル氏らは、紀元前1000年頃の土器に(墨で?)書かれた「最古のヘブライ文字」を発見したという。土器の年代は一緒に出土したオリーブだかブドウだかの放射性炭素年代で測定したそうだ。5行にわたる文面はきわめて短く、判読も難しいようだが、「王」「奴隷」「士師」などの言葉が読み取れるという。
 それは結構なのだが、当時はヘブライ文字もアラム文字もフェニキア文字も分化していなかったのではないかと思ったりするのだが、同氏によると、ヘブライ語でしか使われない動詞とかが文中に登場するのだという。へえ。もちろんこの意見に不承諾の学者も多い。

 このチームが調査しているエラーの砦の遺跡は、当時統一国家形成に向かっていたイスラエルと、その最強の敵であるペリシテ人の領域の境にあり、有名なダビデとゴリアテの一騎打ちもここで行われたそうなのだが、最近もこの調査団の「旧約聖書の記述通りの、2つの城門がこの遺跡から発見された」というニュースがある。聖書にあまり興味のない僕には「はあそうですか」としか言えないのだが。

3.フェニキア人のDNA
 ベイルート大学の研究チームが、現在の地中海沿岸諸国に住む人から採取したDNAを分析したところ、17人に一人からフェニキア人のDNAが発見されたという。聖書の記述どうこうはともかく、こういう「フェニキア人の島女房」みたいな下世話なニュースは僕も好きですな。
 まあフェニキア人の交易活動を考えれば当たり前と言えば当たり前のニュースだが、地域により濃淡(出現頻度の高低?)があって、フェニキア人の故地であるレバノンはもちろんだが、キプロス、スペイン、シチリア島、モロッコでは濃く、イタリア本土、ギリシャ、チュニジアでは割合薄いようだ。あれ?チュニジアにはカルタゴがあったのに、ローマ帝国に皆殺しか売り飛ばされたせいかな?
 モロッコではフェニキアの遺跡はまだあまり調査されておらず、僕の知り合い(ドイツ人)などドイツ考古学研究所がモロッコでの調査を進めているところだが、DNAからはフェニキア人の大西洋進出が先に裏付けられたことになる。ところでこの手のニュースでいつも思うんだけど、このDNAの拡散がどうしてフェニキア人に帰されるのだろうか?アラブの大征服とかオスマン帝国の遠征による移住の結果とは関係ないのかな?

4.アッシリア総督の宮殿を発見!
 アッシリア帝国というと、紀元前7世紀に西アジアをほぼ統一した史上最初の大帝国だが(その分滅亡も早かった)、その総督のものと思われる宮殿がトルコ南西部ディヤルバクル県のズィヤーレット・テペにおけるトルコ・アメリカなどの合同調査により発見された。
 アッシリア粘土板文書?の記録によると、紀元前882年、アッシュルナシルパル2世の治世、この地にはトゥシャンという名の総督がいたことが伝わっているが、その記録よろしく壁画が描かれ床暖房施設を備えた豪華な宮殿、そして銅製の容器20点などが発見されたという。また墓も見つかっており、印章や象牙製品、装身具などが豊富に副葬されており、匹敵する類例はアッシリア本国(今のイラク北部)のアッシュルやニムルードに限られるという。

5.カトナでまたまた大発見
 シリアのテル・ミショルフェ遺跡(古代名カトナ)では、ドイツのチュービンゲン大学による再調査ですでに未盗掘の王墓から豪華な副葬品などが発見されている(シリア、イタリアとの合同調査だが、いいものはドイツ隊の担当部分からばかり出て来るので紛争になっていると聞く)。僕もドイツ隊による発見についての講演を聴いたことがあり、来年10月からシュトゥットガルトにあるヴュルテンベルク州立博物館で特別展が予定されている。
 今年の調査では最近(1980年代)まで人が住んでいたミショルフェ村の民家の下に眠る青銅器時代(紀元前1400年頃)の宮殿(王墓はその一角の地下室から発見された)が調査された。宮殿の壁は、極めて稀なことであるが高さ5m以上も残っており、また二階分の床が崩落して堆積していることが確認された。つまり少なくともこの宮殿は三階建てであり、その高さの日干し煉瓦(西アジアでは木材は貴重品である)建築物の重量を支えるには少なくとも深さ3m以上の地下基礎壁が必要になるという。またこの宮殿跡からは完全に残っている部屋のアーチ状の入口や、宮殿内の井戸に落ち込んだ木製の梁材が腐らずに保存された状態で発見された。梁材はほぞ穴まで残る遺存状態である。
 また面白いのはこの宮殿の一室からゾウの骨が発見されていることで、おそらくカトナ王の狩りの成果を誇示するため展示された、あるいは王の宴会の料理として出された可能性があるという。シベリアの氷漬けマンモスの試食の限りでは、象の肉はあまり美味しくないということだが。今でこそシリアの多くは乾燥地帯で、大型野生獣は生息していないが、青銅器時代までは湿地帯などにゾウの一種(アフリカゾウやアジアゾウとは別種らしい)が生息し、エジプトのファラオなどが狩りに来ていたという。象牙目当ての人間による狩猟や気候の変化で、シリアゾウはその後間もなく絶滅した。

6.ヒッタイト帝国の都の調査
 ステップ地帯の交易都市として栄えたカトナ(上記)を紀元前1340年頃に滅ぼしたのは、北から攻め込んできたヒッタイト帝国だったが、その都ハットゥッシャは現在のトルコ中部、ボアズキョイの遺跡にあたる。
 1906年以来ドイツ隊による発掘調査が進められ(本格的な考古学調査は1932年から)、五代目にあたる現在の発掘隊長は僕の知り合いである(同時期に同じ大学にいた)。今年の調査では紀元前1300年頃の建物の火災層の下から70点以上の完全な土器が発見されたという。
 それ自体も珍しいことだが、土器の器形そのものもかなり異様なものである。写真右端の壺、なんだこれ?注ぎ口から下の部分だけ見れば、ヒッタイトの遺跡にはよくあるタイプの壺(水差し)だが、注ぎ口の部分の牛の頭は異様である。おそらく注ぎ口は牛の口にあたる小さな穴だけだと思うが、肝心の中身(水、ビールなどなど)はどうやって中に入れるのだろう?それとも日本の埴輪のように置いていただけなのだろうか。





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最終更新日  2008年11月27日 16時30分50秒
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