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カテゴリ:アガルタ
「密教の可能性」 チベット・オウム・神秘体験・超能力・霊と業 正木晃 1997/11 大法輪閣 正木晃の本は面白い。昨年読んだ本のベストに入った「チベット密教」を読んでから虜になってしまっていると言ってもいいかもしれない。その後、その名前を見つけ次第、手当たりばったりで、年代も内容も脈絡なく目を通してみるのだが、はずれがない。ふと考える。何が面白いのだろう。ひとつには年代が同じだ。1953年生まれということだから、現在では53歳だろうが、この本を書いた当時は43歳。そして、同時代人の悲劇として麻原集団の事件を直視しようとした。さらには、正木の専門は密教、特に縁があってチベット密教と進んでいっていた。 私は、いままでも書いてきたいろいろな理由で、自分に降りかかった火の粉を振り払ったあとは、ひたすらあの事件からは目をそらし続けてきた、と言ってもいいだろう。いや別に逃げていたわけではないが、往相と還相、私には私に課せられた使命があった。そしてあの事件から10年経過して、ようやくあの忌々しい事件を再び直視しようと思い立った。 そんな中でであった正木晃の一連の仕事は、まさに私にはできなかったことで、私がもっとも知りたかったことを、しかもすでにやってくれていた、という喜びとともに私の眼の前に現れてくれた。彼の視点や彼の思索の経過など、私には分かりやすく、とてもありがたい。 しかし、こうして読んでみて逆に、違うな、と思う点もないではない。彼は有名な学者だ。沢山の著作をものしている。当然ながら、第三者に分かりやすく説明し、しかも仕事としてそれを自分の人生に組み込むことができている。私のような門外漢にはとてもありがたい。一方、私は必ずしもチベット密教の専門家でもなければ、第三者を意識して旅をしなければならない立場ではない。チベット密教は限りなく興味深いが、私の最終目的地点ではない。いつか、気が変われば、さらっと方向転換してチベットのことなんかさっぱり忘れてしまう、かもしれない。もちろん、それ以前においては、絶対的に一度は通らなければならない道筋としてのチベット密教探究がある。 この本の中で、「仮名T子さん」がでてくる。「あとがき」の最後に種明かしされるが、実はこれは正木の奥さんのことであるという。さまざまな体験のあとに51歳の時に亡くなったとのことだ。ここを読んでふと考えた。とすると、当時40をこえたばかりの正木は50代の奥さんを亡くしたことになる。下世話な関心だが、10歳年上の奥さんであったか、とため息がでた。彼女は、きっと正木にとってのダーキーニーであったかもしれない。 修行者が前世の報いで女性を犯さざるをえない時は 私がその女性となって、おまえに抱かれてあげよう 且つ、一生のあいだ、おまえをまもってあげよう 臨終のときは、おまえを導き極楽に生れさせよう p281 この本は仏教家たちの専門誌「大法輪」に2年にわたって連載されたものをまとめたものだ。出版が97年だから、麻原集団事件直後から書かれたことになる。したがって、一冊の本のなかにさまざまな多様な内容が含まれている。 日本でいちばんよく用いられた不空訳「金剛頂経」は、金剛界系のマンダラの所在に関して、かく語る。 「大悲毘盧遮那仏は、常恒に三世に住したまへる一切の身と口と心の金剛如来、一切の如来の遊戯したまふ処の、阿迦尼陀天王宮の中の大摩尼殿に住し・・・」 「阿迦尼陀(あかにた)天」とは、色究竟天((しきくきょう)天のこと。すなわち、宇宙の中心にそびえているといわれる聖山須弥山(しゅみせん)(メール山=スメール山)の上空はるかに位置する究極の天界とされる。とすれば、金剛界系のマンダラも須弥山の上空はるかに位置することになる。 p122 シャングリラ症候群ならぬ、アガルタ症候群の一人である私には、阿迦尼陀(あかにた)さえ、アガルタに聞こえてくるから可笑しい。ましてや「宇宙の中心にそびえているといわれる聖山須弥山の上空はるかに位置する究極の天界とされる」とまでいわれると、いよいよ膝をのりだしたくなる。これは漢訳だが、もともとの言語、あるいは他の言語では、どのように表記されていたのだろうか、興味深々。 先日から、また思い出していたユングについても触れている。 ユングは女性にとって非常に魅力的だったようでが、同時に危険な存在でもあった。ユングの伝記などではめったに書かれていないが、若い頃には患者の少女を自殺に追い込むような事件もあったらしい。すこぶる有能な秘書役として、また愛人として、生涯をユングに献げつづけた或る女性は、晩年、燃え尽きて、ほとんど廃人になったとも聞く。 要するに、ユング自身が、良くも悪くも「カリスマ」だったのである。それゆえこそ、多くの患者を癒しえたし、多くの人々を感化しえたのであろう。p205 たしかに類似の指摘が「瞑想とユング心理学 」にもでていた。 なぜインド仏教はほろびたのか? 1203年、インド仏教は滅亡した。東にインドにあった最後の拠点、ヴィクラマシラー大僧院がイスラーム軍団に襲撃され、劫掠(ごうりゃく)のあげく、炎上して果てたのである。このとき、辛くも難を逃れた管長シャーキャシュリーパドラ(1127~1225)は、はるか北方のチベットに脱出し、以後、仏教の正統はヒマラヤのかなたの高原に受け継がれることになる。p257 チベット仏教の正統派を形成するゲルク派の宗祖、ツォンカパ(1357~1419)は、みずからの宗教哲学上の立場を中間派の帰謬論証学派(プラーサンギカ)においた。この立場は、ブッダの真理は言語をもっては表現できないとする中間派においても、最もラディカルなもので、言語化を徹底的に拒否する。すまり真理は神秘のなかにしかない。p264 「700年前のチベット」という場合、このシャーキャシュリーバドラとツォンカパの間のこと、ということになる。 私個人は、未来の仏教はいやおうなく、密教を中核とせざるをえない、そう確信している。そして、その密教はいつなんどきも、現在形でなければまったく無意味である。p282 これが正木のこの本における結句である。さて、私個人の感覚では、インドの仏教はいま再復興していると思う。アンベードカルと佐々井秀嶺によって、現在形の仏教はインドで復興されたと思う。私は行きがかり上、仏教は最も身近な宗教ではあるが、仏教そのものにはこだわらない。しかし、現代にいきる私たちのスピリチュアリティのもっとも中核とせざるを得ないのは「密教」だ、という文脈でなら、正木に賛成だ。そして、この「密教」という言葉を「タントラ」という言葉に置き換えることができるとするなら、「来るべき世界はタントラのものになるだろう」というOshoの預言とも通じるところがでてくるであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 12:38:46
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